東京万華鏡 川本三郎 写真・武田花 筑摩書房 1992年6月25日 第1刷発行 再読 |
文庫化された方で読んでいるので再読。しかし、こちらの単行本で読む方が趣き深し。表紙も中に掲載されている武田花氏による白黒写真が採用されている、やっぱりこのほうが文庫よりもいい。
p40
白髭橋はいうまでもなく隅田川のいちばん上流の橋。それより上流の千住大橋や尾竹橋は一般には隅田川の橋とはいわない。荒川の橋である。近年注目されている一九三〇年代の画家藤牧義夫の「隅田川絵巻」(当時の隅田川の風景を丹念に措いた全四巻の画集)でも、白髭橋から始まっている。隅田川十三橋も白髭川から数えるのが普通。白髭橋、桜橋、言問橋、吾妻橋、駒形橋......と下がってきて勝開橋までで十三橋。のちに詳しく紹介する高見順の東京小説「都に夜のある如く」(昭和三十年)には、主人公たちが「隅田川には橋がいくつある?」とみんなで数えるくだりがあるが、勝間橋まで数えたあと相生橋はどうする、勝間橋を入れるのならその先きの春海(はるみ)橋も入れなければとにぎやかな議論になるのが面白い。現在でも高速道路の延長のような隅田川大橋(永代橋と清洲橋のあいだにある)を入れるかどうかなど議論になるところだろう。「隅田川に橋(はし)はいくつあるか知っている?」「十三だろ」「ひとつだよ。新大橋(はし)だけ。あとはみんな橋(ばし)」。下町っ子たちのおなじみのクイズである。
思わぬところで出てきたもの、藤牧義夫。
p45
野口冨士男「相生橋煙雨」は「私の中の東京」「わが荷風」などと並ぶ氏の東京もののひとつで、前述した、昭和十年ごろ隅田川にかかる橋をすべてスケッチした(「隅田川絵巻」)あと二十代の若さで行方不明になって消えた"幻の画家"藤牧義夫へのオマージュである。野口氏は自分と同世代の藤牧義夫の描く隅田川と橋の絵に心ひかれる。そして藤牧が最後に描いた相生橋(この橋は昭和十五年に勝鬨橋が出来るまで隅田川の最下流の橋だった。だから藤牧は「隅田川絵巻」で最上流の白髭橋から最下流の相生橋までを描いた)の面影を求めて、ある雨の日に思い立って相生橋まで出かけて行くという小品である。隅田川の橋への思いが、作家と画家を結びつけている。
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