[NO.1462] サピエンス全史(下)/文明の構造と人類の幸福

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サピエンス全史(下)/文明の構造と人類の幸福
ユヴァル・ノア・ハラリ
柴田裕之
河出書房新社
2016年09月30日 初版発行
2017年02月08日 20刷発行
294頁
再読

出版されたときに、ビル・ゲイツやザッカーバーグに取り上げられたことが話題になったが、それよりもオバマ大統領(現職時代)が休暇中に読んだというニュースの方が気になっていた。上巻は人類にとって認知革命から農業革命が中心だった。下巻の本書はいよいよ近現代からさらに未来へと話は進む。今に生きるわれわれにとって上巻よりも、こちらの方がさらに切実に感じる内容となっている。

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上巻を読んでから、だいぶ時間が経ってしまった。

下巻の初めは、上巻のつづき「宗教」の内容が残っているが、大半は第4部科学革命に費やされている。

地球上で人類が反映している現代のこの状況を考えると、もっともポイントとなるのがこの「科学」というキーワードだという。そのことについては、なんとなくわかった気がしていた。しかし、実は中世から近代初期にかけて、ヨーロッパよりもむしろアジアや中東の方が技術力としては発展していたのだといわれると、驚いた。列挙される具体例は省くが、それなのに、なぜその後ヨーロッパが世界を席巻するようになったのか。この視点が面白い。

知らないこと、わからないということはない、というのが中世までの人類が当たり前としていた概念だという。なぜなら、聖書やコーラン、儒教の書物には、すべての知識が詰まっている。もし、そこに書かれていないようなことであれば、それは取り上げるに足りない些末的な不必要なことであるのだから、そんなことに心を砕く必要もないという。つまり、それまでにすべて人類が必要としている疑問などというものは、解決してしまっているのだ。

進歩という概念が当たり前となっている現代のわれわれにとり、こうした考え方というのはなかなか理解しにくい。けれども、たとえば近代以前の中国では、歴史の捉え方として過去がもっとも優れていたと考えられていた。年代を経るにしたがって社会は悪い方へと流れているので、素晴らしかった時代にもどらなくてはならない。そのために書物を紐解き、昔に学ばねばならない。それが当たり前のことだった。こうした概念は江戸時代までの日本にもあっただろう。

ここで、ひとつだけ本書で取り上げている具体例を出すと、ヨーロッパが大航海時代をどうして迎えることになったのか。中国も中東も、やろうと思えばできるだけの航海技術はすでに整っていた。それなのに、王や貴族らは、未知なる外洋へと乗り出そうという考え自体を抱くことはなかった。社会がそれを欲していなかったというのだ。

では、ヨーロッパでは、なぜ、アメリカ大陸を発見し、世界一周航路を確立したのか。

第一歩が、科学の興隆にあるという。それまでに先人たち、あるいは神が、すべて必要とされる事柄はわかってしまっているという概念を、まず捨て去ることができたか否か。世界というものは、未知なることが存在している。古典に書かれていない、未知なることがあるということを認めることが、科学革命へと踏み出せたのだという。スペインやポルトガルは南北アメリカ大陸に押し寄せた。

もちろん、それだけが理由ではない。資本主義という社会制度が後押しをする。高潔なオランダ市民から投資を募り、大型帆船を仕立て上げた。まるでクラウドファンディングのよう。そうして植民地とした。その後、ベルギー、フランス、イギリスが続く。

科学技術は資本主義という体制があって、発展してきた。資本主義の基盤は貨幣にある。貨幣こそ、究極の共同幻想だ。なるほど。

どんな宗教を信じてようが、どんな社会体制であろうが、ドル紙幣は喜んで受け入れられる。たんなる紙切れなのに。

でましたね。共同幻想という言葉。吉本隆明、廣松渉、挙げ句には唯幻論の岸田秀。

本書の特徴は、これまでに発表されてきた考えをつなげ、巨視的に人類史をたどってみせたことではないだろうか。独創的な「これは大発見だ」というピンポイントのような概念はない。それなのに、読者は一様に、読後、目からウロコが落ちたようだという。

グローバル社会というが、グローバル学問やグローバル教養ということばは見たことがない。だいたい、本書 P65 に示されたニュートンの運動と変化の一般原理という数式を、いったいどれだけの人が理解できようか。すぐに思いつく有名どころでは、立花隆くらいだろうか。

本書の特徴の二つ目に挙げるとすると、例の豊富さがある。小説や映画をさりげなく挿入するのだ。まるで講義をうけているかのような気になる。それがどことなく、ユーモアのある出され方なのだ。読んでいてクスッとなる。

社会制度と平行して、テクノロジーの発展を説明する。産業革命からロスアラモスまで、さらに現代の生命までもが工業化された世の中へと続く。食料や医療の発展等々。

前世紀末、ポストモダンの中で、視点の転倒という概念があった。展開される論じ方が似ている。エコロジーの観点から、現代の農業や工業開発が地球の自然へ与えるダメージについて言及されているけれど、人類が農業革命を始めたことによる方が、はるかに大きなダメージを与えている。いや、人類の出現の頃から、そもそも莫大な悪影響を及ぼしている。などという言い回しは、その最たるものだろう。

現代社会について論じている後半は、いろいろ身近な事柄を思い浮かべて納得でき、面白かった。

P178 ショッピングの時代 は、具体的に日常生活とマッチングする事例に事欠かない。宣伝効果と商業主義。

P196 想像上のコミュニティ も同様。マドンナのファンは、一つの消費部族を形成している。マンチェスター・ユナイテッドのファンも、ベジタリアンも、環境保護論者も、消費者部族だ。もそうだ。 ベジタリアンのドイツ人は、肉好きのドイツ人よりも、ベジタリアンのフランス人を結婚相手に選ぶだろう。には可笑しくなった。著者は肉や魚はもとより、乳製品も食べないという。

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読後、妙に残るのが、幸福についての視点。いきなり幸福について論じだしたときには、いったい何がいいたいのだろうと違和感をいだきながら読みすすめた。生化学まで持ち出し、執拗に論じる。しかし、狩猟時代と現代人とで、いったいどちらが幸せなのか、と問われたなら、それは絶句するしかなかった。幸福を把握する方法は記述式なのか、どんな評価法がいいのか。不思議な本だ。

これからの未来の課題を扱う上で、ポイントは生命科学とAIだという。そうだろう。挙げられている事例は、10年近く前のことが多い。軍事目的による開発は、すでにはるか先を研究しているはずだ。

NHKで放送された本書への関連番組を3つ、録画していた。ところがまだ見ていない。それよりも、早く次の『ホモ・デウス』を読みたい。

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