隣人だったキットカットとタイちゃん(北園克衛と殿山泰司)

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向かって路地の右が北園克衛さんの住んでいたところ。左が殿山泰司さんが住んでいたところ。約半世紀も前のことです。そのころの建物は跡形もなし。路地奥の鈴降稲荷神社のあるビルと隣のビルのすき間から、向こうにちらっと見えるのが赤坂サカスでしょう。新藤兼人監督が著書『三文役者の死/正伝 殿山泰司』のなかで「(タイちゃんのアパートまで)TBSから直線距離で約50メートル」と書いています。

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北園克衛が1969年、藤富保男に送ったという賀状の画像があります。[NO.724]『都市の詩集/モダン都市文学X(10)』(鈴木貞美 編/平凡社 刊)に掲載されています。下には小さな活字で住所と氏名。

なんの気なしに、この住所を検索しました。「ふーん。1969年ころの赤坂か。サイケデリックと学生運動で騒然としていたころだったかな。」

この地番でヒットしたのは「サンライズ赤坂ビルディング」です。賃貸情報のサイトに詳しく出てきました。

なるほど、これがいまの家賃の相場か、などと思いながらGoogle マップ(ストリートビュー)を開いてみると、「あれま!」。見覚えのある路地と看板が表示されました。「鈴降稲荷」「← この先右側」「元禄6年6月16日此地に御鎮座」

2017年NHK朝ドラ「ひよっこ」のヒロイン、谷田部みね子が働く赤坂の洋食屋「すずふり亭」の裏にあるお稲荷さんのモデルといわれた「鈴降稲荷神社」です。

これって、1989年に殿山泰司さんが亡くなるまで住んでいたアパートの隣ですよ。 以前、ストリートビューで確認したことがありました。「タイちゃんの住んでいたアパート_その2」円通寺坂の途中にあった 古渡屋さんという呉服店の2階アパートがその場所でしたが、その後、お店が閉店して、すっかり建て替えられてしまいました。

古渡屋(港区赤坂)で検索すると、閉店した呉服屋さんについて、今でも住所や電話番号などがヒットしました。

ふたつの住所をくらべてみると、やっぱり番地がひとつ違い、隣同士でした。

二股男と30年交際した女性達 男の葬式で手を握り合って泣く」※週刊ポスト2011年11月25日号
によれば、

タイちゃん36歳の時、京都で喫茶店のウェイトレスやってた17歳のすーちゃんに「愛してまっせ。食べてしまいたい」と口説いて東京に連れてきたのが「赤坂の側近」。

タイちゃんは1915年生まれなので、36歳というのは1961年のこと。このあと赤坂(の古渡屋さん2階)に住むようになったのは、いつからなのかはわかりませんが、さほどあいだはあかないのではないでしょうか。

北園克衛さんが、いつから「年賀状の住所」に住むようになったのか。こちらも詳しくはわかりません。現在建っている「サンライズ赤坂ビル」は1989年にできたとあるので、その前までのことはわかりません。少なくとも、北園克衛さんが年賀状を出した1969年には「この住所」に住んでいたのでしょう。ついでにいえば、この住所の末尾に「東南居」とあるからには、一戸建てではなかったということでしょうか。北園克衛さんが亡くなったのは1979年ですが、そのときの住所がどこかは、わかりません。

さて、そこで妄想です。北園克衛さんが「住所の南東居」から年賀状を出した1969年には、殿山泰司さんもまた、お隣のアパートに住んでいたはずです。いやはや、東大安田講堂で火炎瓶が飛び交い、アポロ11号が月面に着陸した年。