日本橋に生まれて/本音を申せば 小林信彦 文藝春秋 2022年01月30日 275頁 |
連載の最後の回に出ていました。
P272
二十年少しつづいた私の連載もこの回で終る。どの程度の読者の支持があったのか私にはわからない。本当にあっという間という感じだ。
初出誌「週刊文春」
Ⅰ 奔流の中での出会い 二〇一八年十一月一月号~一九年六月二十日号
Ⅱ 最後に、本音を申せば 二〇二一年一月十四日号~七月八日号
本当に終わってしまいました。10年くらい前、頼りにしている書評として小林信彦さんの週刊文春への記事がありました。丸谷才一が書けなくなったころです。書評と同時にエッセイも愛読していました。本書で読み納めですか。
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ふたつの章に分かれています。手前の「Ⅰ 奔流の中での出会い」は、これまでに出会った18人について。その人選が面白い。いちばんお若いところで柄本佑さん。いちばんはやく亡くなっているのが山川方夫さん。
気を遣わずに話せたのが大島渚や野坂昭如だったといいます。それだけに、彼らが先に亡くなってしまって、話をできないのが辛いのだとも。
面白かったのが、大瀧詠一との出会いから付き合いの数々についてでした。小林信彦さんがはじめて大瀧詠一の名前を聞いたのは、新宿紀伊国屋書店のなかにあった小さな喫茶店で、相倉久人の口からだったといいます。店内のBGMでかかっていたのが大瀧のアルバム「A LONG VACATION」のなかの曲で、そのことも含めて小林信彦さんが知らなかったので、大瀧詠一に会うことを勧めたとのこと。大瀧詠一がDJをしていたラジオ番組のことも紹介されたのだとか。大瀧詠一が小林信彦さん好意を抱いていることに嬉しくなったことでしょう。
その後の植木等再ブレークについて、面白く読みました。しかし、もっとも驚いたのが、小林信彦さんにとっての<孤独>についてでした。
P47
私は若いころに好きだった小林旭(あきら)の「東京の暴れん坊」(一九六〇年)のクレジットの良さを安心して語れる若い人に初めて出遭えたのだ。こんな当たり前のことがしゃべれなかったのだから、私は<孤独>だったのである。(午後三時から十一時までしゃべっていたと彼は記録している。)
これが初対面のときの出来事です。
本書が出版されたとき、どこかの書評に、この小林信彦さんにとっての<孤独>を指摘している人がいました。ずっと、そのことを忘れていました。わざわざ小林信彦さんが書いているのは、それだけ大瀧詠一の早世を悔やんでいるということでしょう。
『決定版 日本の喜劇人』が出版されたことは、小林信彦さんにとってなによりも、嬉しかったことでしょう。今、思い出しました。正月に、NHKの番組、スイッチインタビュー「細野晴臣×小林信彦」を前後2回にわけて放送しました。そのときに、二人が並んだテーブルの上には『決定版 日本の喜劇人』が置いてあって、細野さんがしつこいくらい、大瀧詠一も『日本の喜劇人』が大好きだったと繰り返していました。
「Ⅱ 最後に、本音を申せば」よりも「Ⅰ 奔流の中での出会い」のほうが面白く読めたのは、「Ⅱ 最後に、本音を申せば」のほうが映画についてたくさん書いているからです。その点、「Ⅰ 奔流の中での出会い」は、文学畑の名前が多いので、たのしく読めました。
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(前半の)目次
Ⅰ 奔流の中での出会い
野坂昭如さんの場合 10
山川方夫さんの場合 19
渥美清さんの場合 23
植木等さんの場合 その1 32
長部日出雄さんの場合 40
大瀧詠一さんの場合 45
井原高忠さんの場合 54
江戸川乱歩さんの場合 58
柄本佑さんの場合 75
笠原和夫さんの場合 80
横溝正史さんの場合 89
橋本治さんの場合 98
内田裕也さんの場合 102
大島渚さんの場合 107
坂本九さんの場合 116
植木等さんの場合 その2 129
タモリさんの場合 142
伊東四朗さんの場合 147
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