このところ老人化した後、それからの蔵書をどう始末するか、についての本を読んでいる。「考えている」ではなく、その関連本を「読んでいる」というところに、まだ吹っ切れていない未練たらしさがにじみ出ている。
だいいち、このタイトルに付けた 01 なる通し番号が我ながら悲しい。蔵書始末記が 99 まで続くというのか?
自室へ続く階段に積み上げてある本もろとも転げ落ちたのが一昨年の秋だった。そのときに伸ばしてしまった左膝靱帯が未だにときどき傷む。
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NO.1327『百歳までの読書術』津野海太郎/本の雑誌社/2015年7月24日 初版第1刷発行
NO.1328『蔵書の苦しみ』岡崎武志/光文社/2013年7月20日 初版第1刷発行
NO.1329『購書術』中側右介/小学館/2015年2月7日 初版第1刷発行
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ずっと他人の書庫(書斎ではない)の写真を見るのが好きだった。そういた類の本は、少々お高くても買ってしまっていた。しかし、ただでさえ保管場所に窮しているのに、他人の書庫の写真の本が書架からあふれていたのでは話にならない。仕方なく、だいぶ処分した。
ところが、草森紳一氏の書庫「任梟盧」の写真を目にしてからは、その手の写真を集めては眺める楽しみがよみがえってしまったのだ。こんな大量の本を所持することなんか、どうせ自分にはかなわぬ夢なのだから、せめて写真を見るくらいはいいんじゃないか、なあんてね。なにより早急に現在放ったらかしの蔵書処分に厳しく迫られているという大きな悩みが目の前にそびえているのだ。
それにしても、雑誌太陽(1981年11月号)で紹介されたという「任梟盧」の記事と写真がいい。
■その先は永代橋 草森紳一をめぐるあれこれ/11月21日、草森紳一の書庫「任梟蘆」を You Tubeで公開します!
こちらは以前に目をとおした記憶がある。
■webマガジン航/第10回 なぜ人は書庫を作ってまで本を持ちたがるのか
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