[NO.1520] 私の東京地図

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私の東京地図
小林信彦
筑摩書房
2013年01月10日 初版第1刷発行
197頁

〈初出〉PR誌「ちくま」2009年7月~2012年8月連載。書くにあたって、実際にその土地に出向いている。23区内なのだが、ホテルに宿泊している。

「あとがき」にある著者の東京をテーマとしたエッセイは、ちくま文庫で『私説東京繁盛記』『私説東京放浪記』『昭和の東京、平成の東京』がある。それから時間も経っているので、あらためて書いてみたのだという。

出版社サイトに目次があった。リンク、こちら

全部で18回分
東京駅、赤坂、青山、表参道、渋谷、新宿、六本木、恵比寿・目黒、日比谷・有楽町、日本橋、銀座、神田、両国、人形町、深川、本所、品川、(東京はまだ〈普請中〉)

「あとがき」に

P196
この一冊にとりえ(「とりえ」に傍点)があれば、深川のことが書けたことだろう。

とあるように、「東京駅」から始まる回のほとんどが、いうなれば〈普請中〉の東京に対する違和感が強い。やっとそれが深川でやや和らいでくる。読んでいて鈍いこちらにも感じられた。

地名に「あえて」ふりがなを付けているところがある。間違えて紹介されることのある地名に、「あえて」ふりがなをつけているのだ。そこだけを拾い出しても、おもしろい。

本書でしつこく書いてくれた「日本橋」がよそ者にとってわかりやすかった。柳橋通りが靖国通りに接する角に小さな石碑がある。江戸時代最大の盛り場だった「両国広小路」と書かれているのに、JR両国駅は川向こうなんですから。余計に混乱するだろうな。そのあたりの説明はP139~にある。行政による地名変更が混乱を招いたとある。

テレビ東京の番組「出没! アド街ック天国」で〈東日本橋〉を取り上げた回に触れている。読んでいて可笑しくて笑ってしまった。著者にとっての旧日本橋エリアではなく、見当違いの場所を紹介しているというのだ。

P121
〈東日本橋=旧西両国〉ということがわかっていないらしい。

そりゃそうですよ。東日本橋という地名から判断すれば、日本橋の中心があって、この地名のところはその東側と類推するはず。

行政が地名を1971年に変更したことが混乱を招く原因だという。そもそも、〈東日本橋〉なんて名前は存在しなかった。両国が本来の地名だった。

P122
 横山町、馬喰町は問屋街、〈東日本橋〉は商店街、という分類が作る側の頭にできていないから、(以下略)

今の〈東日本橋〉から、商店街と問屋街の区別は難しい。かつての町並みを想像できない。

ここでさらに話がややこしくなる理由がある。なにしろ、ここでいう〈東日本橋〉(旧日本橋区)というのは、たとえが変だけれどどうも京都でいうところの洛中と洛外の区分でいえば、洛中みたいなところがある。

小林信彦少年が母校千代田小学校(現・日本橋中学校)校歌を紹介しながら、「日本橋区」という区域の位置づけを説明している。校歌の出だしは「われらが学ぶ学び舎(や)は/都の中の都なり」で始まる。「この歌詞に疑問を抱いたこと」がなかったという。

P123
日本橋区は東京の中心だから、さらに区の中心にいるわれわれを肯定するのは当然だろうというだけのことである。

すごい嫌みともとれる。校歌に対する小学生の認識ですからね。

P123
東京が、日本橋、神田、京橋を中心に成立していたという認識は、昭和二十年代の区分地図を見れば分かるはずで、(途中略)昭和三十年代になっても、この点は変っていない。

渋谷は場末だしお台場なんて思いも及ばない。埋め立て地は当時存在しない。そのあたりの変化はしつこく書いてある。

東京の中心はどこか? 面白い。さらに混乱をさせているのが、地名変更だ。「日本橋、神田、京橋」といったって、今の地図とは場所が違う。

話を元にもどすと、旧日本橋エリアとは現在でいえばどこなのか。何度も表現をかえて説明している。

P127
ここでひとつ、〈日本橋〉が一発でわかるような書き方を試みよう。

日本橋をふくむ中央区は、形のわるいナスがぶら下がっているように見える。

なんだか悪い夢でもみているような気がしてきた。あの小林信彦がこんなことを書くとは思えない。

 ◆  ◆

「深川」の回で、おやっと思ったのが、P160 『平成お歩行(かち)日記』(宮部みゆき著)が出てきたこと。この本は大好きだ。深川について書く作家では、宮部みゆきさんを「信用している」のだといっている。すごいな。深川に「ご先祖が居ついて四代目」とも書く。そこで「深川在住者の気持ちと深川という町がよくわかる」のだそうだ。(旧西)両国の和菓子屋十代目の小林信彦が書くと、なんだかなあ。

その土地について書くということに強いこだわり(この言葉、嫌いだろうな)があるようなので、なんともはやだ。

深川江戸資料館を強く推している。

怖いのは、この本が7年も前に出版されていること。この先、自分の足で街歩きはできるのだろうか。タクシーからであればどうだろう。