[NO.1519] レンズが撮らえた外国人カメラマンの見た幕末日本Ⅱ

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レンズが撮らえた外国人カメラマンの見た幕末日本Ⅱ
小沢健志 監修
山川出版社
2014年11月15日 第1版第1刷印刷
2014年11月25日 第1版第1刷発行
157頁

幕末から明治期にかけて、東京の町並みが見られる写真集として、本書はいい。サイズも大きいし。

P50
写真の中の江戸
『ファー・イースト』掲載写真について
金子信輔 都市研究家

『ファー・イースト』(THE FAR EAST)とは、1870年5月30日(明治3年5月1日)から1875年(明治8)8月31日まで、イギリス人ジョン・レディー・ブラックによって横浜で発行された英字新聞であり、各号には数点の写真が貼付されていたという。

写真には急ぎ足で洋風化を目指した明治初期、取り壊されつつあった江戸の名残を写したものが多いという。西洋人の目からは、最新式として建てた洋風建築がサンフランシスコの場末の居酒屋程度にしか見えなかったのに対し、失われゆく江戸の建物や道路などの風景を惜しんだとある。

そんな思いから撮影された写真はどれもが貴重なものばかり。

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特に興味深かったのが、江戸尾張屋敷(市ヶ谷)、江戸安針町(日本橋)、青山通りからの眺め(赤坂)の3枚の写真を「江戸名所図会」「名所江戸百景」と比較しながら詳細に分析しているところだった。何度も説明文と写真とを往ったり来たりする。とにかく面白い。市ヶ谷駅のすぐ北の風景もびっくりだったが、3枚目の赤坂の写真には参った。幕末江戸の下級武士の住宅にも茅葺家屋があった。永井荷風まで出てきた。谷あいには江戸時代からの茅葺き屋根が残っていたのだろうという。何よりもその地形がすごい。こんなに高低差が見られたとは思わなかった。山脇学園からTBSを見た景色という説明に、何度もGoogleマップの写真と比べてしまった。

P60 日本橋(横浜美術館蔵)明治5年(1872)撮影は、明治6年の掛け替え以前、江戸期の形式の橋を写した現在確認される唯一の写真だとある。

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P110
バルトン撮影の明治東京の風景
『明治二十一年撮影全東京展望写真帖』
(国立歴史民俗博物館蔵

俯瞰写真がすごい。神田駿河台のニコライ堂から撮られた13枚のパノラマ写真。実際に撮影されたのは明治22年(1889)1月とのこと。「撮影方向を示す地図」というのがあって、そこにニコライ堂を中心として、分度器で描いたような13枚の写真の方角が記してある。便利だ、照らし合わせることが出来る。ドローンでぐるりと360度を一周した気分になる。日本橋方面の家並みがすごい。

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P13
厚木(厚木市郷土資料館蔵)
撮影者:フェリーチェ・ベアト 撮影地:厚木宿 撮影年:文久3~明治2年(1863~69)頃 鶏卵紙
両脇に商店がずらっと並ぶ厚木宿。道の真ん中(センターラインというよりも中央分離帯のよう)に溝川が流れている。幅は1メートルちょっとくらいか。きちんと石積みがなされている。数メートルおきに幅30センチくらいの石棒が橋として渡してある。

何年前だったか、初めてこの様子を見たときにひどく驚いた。道路の脇ではなくて、センターラインのに真ん中を水が流れているのだ。その小さな川の両脇に道が続いているともいえる。そして両サイドにはずらっと何十軒もの店の家並みが続くのだ。それこそ、写真で見たら、今の常識では考えつかない、異様な感覚に襲われるのではないか。