私説東京放浪記 小林信彦 筑摩書房 1992年11月25日 第1刷発行 |
挿絵が弟さんの泰彦氏。
目次
プロローグ〈バブル〉の果て またはミッキー横町からディズニーランドまで
1表参道・原宿/2赤坂・青山通り/3六本木/4渋谷/5新宿/6銀座界隈/7日本橋・人形町ほか/8神田周辺/9上野・浅草/10谷中・根津/11横浜/12逗子・葉山
エピローグ 東京ディズニーランド ほか
あとがき
p26
「私説東京繁盛記」を読んだ読者は、ぼくがいろいろな場所に住んでいたことを奇異に思われたかもしれない。ここで、とりあえず、戦後に(「戦後に」に傍点)住んだ場所を書いてみる。
青山一丁目(1946~48)
日本橋両国(1948~53)
四谷左門町(1953~56)
横浜(1956~58)
池袋(1958~60)
青山北町(1960~61)
神宮通り(1961~62)
葉山町(1962~63)
六本木〈竜土町〉(1963~64)
四谷左門町(1964~66)
杉並区方南町(1966~79)
世田谷区羽根木(1978~86)
世田谷区上北沢(1986~87)
世田谷区羽根木(1987~ )
若者対象の「Gainer」なる新雑誌へ連載した内容とのこと。90年代初頭......? 雑誌名も記憶にありませんでした。
バブルによる地上げ後の東京、壊された東京の様子ということですが、すでに15年前の内容になるのですねえ。元日に散歩してきたあたり、著者は本書以外にもいろいろな文章で書いています。ホームグラウンドなどというと叱られそうな。
【追記】2020年11月10日
1992年11月25日 第1刷 発行の本書『私説東京放浪記』と 2013年01月10日 初版第1刷発行 [NO.1520] 私の東京地図 とでは、どのくらいの年月、間隔があいているのでしょうか? 単純に出版年では判断ができません。っというのは、『私の東京地図』の初出は、PR誌「ちくま」2009年7月~2012年8月連載 なのです。
対する『私説東京放浪記』の初出が残念ながらはっきりしませんが、上記の「若者対象の「Gainer」なる新雑誌へ連載した内容とのこと」を手掛かりに、お手軽ネット検索すると、以下の記事がヒットしました。リンク、こちら
2016-04-22 16:47 ORICON NEWS
男性ファッション雑誌『Gainer』が休刊 創刊26年目で光文社が発行する男性ファッション誌『Gainer(ゲイナー)』が、6月24日発売の8月号をもって休刊することが22日、わかった。同社の公式サイトで発表された。
同誌は「勝利者」を意味するGainerをタイトルに、30代以降のビジネスマンをターゲットにした雑誌として1990年に創刊。木村拓哉や福山雅治など人気男性タレントが表紙を飾ってきたが(以下略)
2016年の記事に「創刊6年目(で休刊)」とありますから、小林信彦『私説東京放浪記』が連作されたとすると、どうやら答えは 1990年4月以降 のようです。
90年代前半は、日本の出版点数がもっとも増えた時期のはずです。雑誌も勢いがあったのではなかったでしょうか。
どうして、こんなことをぐちゃぐちゃ書いているかというと、東京の街を破壊したことに対して、激しく怒っていたのが、小林信彦だったからです。「町殺し」とまで書いていました。
さらに付け加えると、そうしたテーマの出発点のような本、『私設東京繁昌記』の記録を電子データに残してなかったようなのです。アラーキーこと荒木経惟カメラマンが同行した、この本は出色でした。
ちなみに、かつてのTVではおふざけのアラーキーでしたが、このひとは1940年三ノ輪に生まれ、上野高校では立花隆さんと同学年、その後千葉大工学部で写真を正統派(?)のように学んだという経歴です。山の手育ちではありません。そんなアラーキーに「(小林信彦さんは)基本的にポップですから」と言われた、と小林信彦さんが書いていたのは、この本だったはずです。
本来なら書く気はなかったのですが、いわずもがなが必要になってきた今世紀なので、あえて小林信彦さんの生まれを簡単に紹介します。
1932年日本橋に江戸時代から続く和菓子屋の長男に生まれ、自分の代で店を閉じました。本来の下町文化を理解していますが、早稲田の英文科に進みました。卒業後は紆余曲折の末、江戸川乱歩に勧められて雑誌『ヒッチコックマガジン』編集長に。その後は井原高忠経由でテレビ業界へ行くも、さらに紆余曲折の末、作家の道へ。今回は、ここで止めておきます。
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