福岡ハカセの本棚/メディアファクトリー新書063 福岡伸一 メディアファクトリー 2012年12月31日 初版第1刷発行 |
普通の書評ではなく、全7章ごとにテーマを設け、それぞれのテーマに沿って本を紹介している。なかなか凝った構成だった。
〔はじめに〕「それは図鑑から始まった」
子供時代の本との出会いについて。学校帰りに公立図書館へ立ち寄っていたとのこと。そこの「参考図書室」で、禁帯出の図鑑(もちろん昆虫図鑑)との出会いについて。
ここで、福岡伸一は自分のタイプを次のように規定する。
p15
人間には、地図をこよなく愛し、目的地に向かうときに必ずそれを頼りにするマップラバー(map lover)と、最初から最後までそんなものを必要とせず、自分の勘と嗅覚で目指す場所にたどり着けるマップヘイター(map hater)の二つのタイプがあると思います。
自分は前者なのだそうだ。デパートに入って、「売り場案内」に直行するのは前者。まわりの様子を一瞥して、いきなり歩き出すのが後者。筆者は行動に移る前、世界全体の見取り図を手にしたいのだとも。「図鑑」はそのための指標のようなものらしい。読書(図鑑をみるということ)は、「この世界の事物を洗いざらい枚挙し、それらを公平なグリッドの中に並べる」という行為だそうである。相当に一貫した考えかたとして、福岡伸一の中心にこの考えかたが据えられていくことになる。それもかなり頑固に。
ちなみに、これからたびたび出てくるキーワードが「枚挙」「グリッド」だった。
第1章 自分の地図をつくる......マップラバーの誕生
序章からのつながりで、ご自分の読書との出会いを紹介してる。先日亡くなった加古里子の絵本から、ドリトル先生シリーズへ。人称についての示唆やドリトル先生がウォルター・ロスチャイルドへのアンチテーゼだというところ、面白し。大学で生物学を目指すところに結びつくといい、この章の最後はチャールズ・ダーウィン『ビーグル号航海記』(岩波文庫)で締めくくられる。
第2章 世界をグリッドでとらえる
レイチェル・カーソンや日本人の写真集を冒頭に触れながら、この章での中心は「形」を提示している。「渦巻き」という意匠はあらかじめ自然の中に用意されていた。巻き貝、植物のつる、チョウの口吻、ヒマワリの種の並びかた。そこから「ケルト」文化の文様、エッシャーの絵にまで。ここまでくると、渦巻き文様は「世界の永続的なバランス」という思考へとつながり、縄文文化へと発展する。栃木県寺野東遺跡の環状盛土は1000年間工事をし続けたという。紹介している小林達夫『縄文の思考』(ちくま新書)は興味深い。福岡伸一はこの著者と対談したという。こうした広がりが福岡伸一の深さにつながっているのだろう。
渦巻きはこの後、ダ・ヴィンチへ。ちょっと脱線。多くの分野へ才能を発揮したけれど、ダビンチはプロの科学者ではなく、生涯にわたってコンプレックスにとらわれていたという。理由は、ラテン語による高等教育を受けていなかったため、古典籍を読めなかったからだとのこと。池上英洋『ダヴィンチの遺言』(KAEADE夢新書)に素顔が書かれているという。
「かたち」を貫く共通原理を紹介する本としてフィリップ・ボール『かたち』『ながれ』『枝分かれ』(早川書房)。「等角運動」「対数らせん」を説明。
美は「グリッドな世界」にあり、として絵画へ。ダ・ヴィンチ、エッシャー、伊藤若冲。共通項は、科学者的な視点から自然の法則をとらえているところ。また、恣意的な誇張やデフォルメを避け、自然の原理や数学的法則にもとづいて構築されているところとのこと。ブルーノ・エルンスト『エッシャーの宇宙』(朝日新聞出版局)、佐藤康宏『もっと知りたい伊藤若冲』(東京美術)、狩野博幸『目をみはる伊藤若冲の『動植綵絵』(小学館)。
徹底している福岡伸一は、絵画の次に音楽へ。ロマン派のベートーヴェン、メンデルスゾーンの交響曲は絵画における印象派のように情動が過剰に思えてしまうのだとか。お好きなのはバッハ。
p66
心にまとわりついて個人的な感情を呼び覚ますことなく、いつ聴いても同じようにサラサラと流れテフロンのようにこびりつかない音がいい。心安らぐのは、抑制されながらもきらびやかなバロック、とりわけバッハです。
演奏者はグレン・グールド。やはりマニアック。宮澤淳一『グレン・グールド論』(春秋社)、青柳いづみこ『グレン・グールド ミライのピアニスト』(筑摩書房)。
まとめとして、有名だったダグラス・R・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ――あるいは不思議の環』(白揚社)。この本を中心としているようだが、むしろ逆で、「わたしにとっては、あらためて自分の好きな絵画と音楽とのつながりを気づかせてくれた本なのです」という。
最後はなんといってもフェルメール。現存する37点のうち34点を見ており、著書としても『フェルメール 光の王国』(木楽社)があり、TV番組で特番もあったような。フェルメールを好きになるきっかけは、顕微鏡を最初に作ったというアントニ・ファン・レーウェンフック。フェルメールと同じデルフトに1632年10月生まれ。つまり、顕微鏡→レーウェンフック→フェルメールの順だったとのこと。そして、カメラ・オブスクラ。いかにも福岡伸一先生がが好みそう。フィリップ・ステッドマン『フェルメールのカメラ 光と空間の謎を解く』(新曜社)。映画『真珠の首飾りの少女』に出てきた巨大なカメラ・オブスクラは小さな部屋であり、フォルムの代わりに投影された様子をなぞって下絵にしていた。巨大な仕掛け。
東京銀座でフェルメールの美術展まで開催したのは、「自分の愛するものをグリッドの上に整然と並べることでより深く理解したいという欲求、鑑賞よりも分析に主眼を置いた博物学的興味の帰着点だったかもしれ」ないとのこと。ここで納得。なぜ、フェルメールにのめり込んだのか。
第3章 生き物としての建築
意外にも福岡先生が建築に興味を抱いていた頃について。建築に興味をもつようになったきっかけは小学5年生で参加した大阪万博での各パビリオンに出会って。なるほど。未来風とうたった、今から見るとおかしな形状の展示館ばかりだった。
その後の人生において、建築という対象についてものちに動的平衡に結びつくような思考をしている。結論からいえば、それはサブタイトルに読み取れる。
「新陳代謝する建築」というコンセプト/「負ける建築」の親和性/「有機的な建築」とは何か
材質から見れば、コンクリートに象徴される永続性ではなく、竹や木材などの交換可能な資材を用いた建築が好きだった。生物が新陳代謝するような建築とのこと。八束はじめ『メタボリズム・ネクサス』(オーム社)にある、メタボリズム運動という概念を紹介している。古くなったらビルの部屋ごと交換してしまうのだという。さすがに、それではうまくいかなかったので、材料の入れ替えを推奨するようになったとも。それが東京オリンピックメイン会場をデザインした隈研吾『負ける建築』(岩波書店)/隈研吾『自然な建築』(岩波書店)とのこと。
第4章 「進化」のものがたり
第5章 科学者たちの冒険
第6章 「物語」の構造を楽しむ
第7章 生命をとらえなおす
4・5・7章は本題の生命について。遺伝子の解明、分子生物学の隆盛から福岡先生の概念である「動的平衡」に進展する流れを説明している。もちろん、生物学にとどまらず、数学界の案内を挟んで。サイモン・シン『フェルマーの最終定理』(新潮文庫)/マーシャ・ガッセン『完全なる証明 100万ドルを拒否した天才数学者』(文春文庫)。マーシャ・ガッセンの書いているポアンカレ予想を解いたロシアの数学者グレゴリー・ペレルマンについては、しばらく前にTVのドキュメンタリーで扱っていた。
第6章の物語(小説)についての紹介は、ある意味、オーソドックスだった。どこの小学校の図書室にもあった1960年代に岩崎書店から出ていた子ども向けSFシリーズ『エスエフ世界の名作』が最初の愛読書。大人になってから30万円以上で入手したとも。本格的なSFはマイケル・クライトン『アンドロメダ病原体』(ハヤカワ文庫NV)から・国内では定番星新一から筒井康隆へ。SF以外ではアレクサンドル・デュマ『モンテクリスト伯』(岩波文庫)、新田次郎の山岳小説(大学時代には登山もしたとか)、松本清張シリーズ、村上春樹(一押しは『国境の南、太陽の西』)。最後に小説外で須賀敦子『地図のない道』(新潮文庫)。文章がお好きなのだそうで、「幾何学の美をもつ文体」であるとのこと。
第8章 地図を捨てる――マップマイスターへの転身
「時を止めて一点を見つめ」ても「最初に存在していた関係性は切断されてしま」う。そこで転換する先は、福岡先生のいう「動的平衡」の概念ですね。「世界をありのままに見つめたとき、そこに見えるのは個別の要素ではなく、互いにつながり合い、影響を与え合い、常に変化し続ける動的な世界のありよう」。
p202
研究の壁。生命のとらえ直し、思考。体験。読書。少年の頃から一貫してマップラバーだった私は、これらを経てマップマイスターへと少しずつ変化を始めたのです。
読書からいえば、対談したこともあるというカズオ・イシグロ『日の名残り』『遠い山なみの光』(ハヤカワepi文庫)『わたしを離ささないで』(ハヤカワepi文庫)。ほかに朝吹真理子、川上未映子、大竹昭子、須賀敦子。最後は川上弘美『どこから行っても遠い町』(新潮文庫)。そういえば川上弘美は学生時代に生物専攻だった。
そういえば、以前に読んだ福岡伸一さんの対談集 [NO.1302] せいめいのはなし には川上弘美さんとの対談も収められていました。リンク、こちら
コメント