[NO.1101] 功利主義者の読書術

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功利主義者の読書術
佐藤優
新潮社
2009年7月25日 発行

このところ立て続けに読み続けている佐藤優氏による読書について、あれやこれやと論じた本。いわゆる書評集ではない。

佐藤優氏の本を何冊か読んでみての感想だが、高島俊男氏や山本夏彦氏の一連の本と似ている気がする。内容は同じことの繰り返しが多い。しかし、身銭を切って買うファンというのは内容を読んでいるのではなく、彼らの語り口を楽しんでいるかのよう。

それでは佐藤優氏の繰り返し述べていることの一番はというと、新自由主義に対する拒絶と「宇野弘藏の『資本論』解釈」を信奉していること。これは何度も繰り返されている。

その意味でも、本書で興味深いのは最初の章「資本主義の本質とは何か」だった。ここで取り上げた本も特徴的。『資本論』(カール・マルクス著/向坂逸郎訳、岩波文庫)、『うずまき』1~3(伊藤潤二、小学館)、『夢を与える』(綿矢りさ著、河出書房新社)、『資本論に学ぶ』(宇野弘藏著、東京大学出版会)。

また、論理学を学ぶことを強く勧めているのも特徴。

p83

欧米人、ロシア人、イスラエル人と議論するときはアリストテレス論理学が前提となる。特に背中律を適用すると背理法(はいりほう)を使うことができるので、便利だ。

これは他の多くの本で繰り返し述べている。

p83
人間が何を考えるかということと無関係に世界は存在しているというのは、神様が世界を作ったという文化圏ではごく自然の考え方だ。神様を持ち出さなくても、有であるとか第一質量といった類の「ありてあるもの」でも同じことである。この世界は黒か白かの二分法で、中間はないのである。
これに対して、諸行無常、すべては因果関係で変化するものだという存在理解が刷り込まれている日本人には、白か黒かという二分法が馴染みにくいのである。

これに続けて、先の「欧米人、......」以下が続く。

続けてさらに引用すると

〈日常的には、たとえば「君の言う通りだとすると、これこれのおかしいことが帰結する。だから、君の言っていることには誤りがある」といった論法が背理法的議論と言える。〉(野矢茂樹『新版論理トレーニング』産業図書、2006年、139頁)
ちなみに、上記展開は酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』についての中から。この意外性も特徴。

次は、ハーバーマスの推奨。ここでは『公共性の構造転換 市民社会の一カテゴリーについての探求』の紹介。

で、この本の紹介をしながら述べている、次の個所が面白い。

p293
アカデミズムにおけるマルクス主義の四潮流

うんと乱暴に整理すると、ハーバーマスの言説は、マルクス主義をアカデミックに発展させた一潮流である。アカデミズムにおけるマルクス主義の潮流は、大雑把に四通りある。
第一は、ソ連型マルクス・レーニン主義だ。日本共産党の公式ドクトリンや、旧日本社会党左派もこの枠組みに属する。ソ連崩壊前までに日本の大学で講義されていたマルクス主義の九割くらいがこの潮流に属する。現在でも、政治的影響力は最も強いが、知的には単純な操作しか行わない。もっと厳しく言うと、行えないので、アカデミズムにおける影響は弱い。
第二がソ連型マルクス・レーニン主義が、素朴唯物論としか思えないような科学主義の立場をとり、それが官僚制と結びついてグロテスクな全体主義体制をもたらしたことに抗議して、マルクス主義にヒューマニズムの要素を導入しょうとする試みである。ハンガリーのゲオルグ・ルカーチ、当初東ドイツに住んでいたが、途中で西ドイツに引っ越したエルンスト・プロッホ、キリスト教神学者との対話に熱心だったチェコのミラン・マホべッツなどの哲学者がこの潮流に属する。
第三は、フランスのルイ・アルチュセール著『資本論を読む』(初版1965年、改訂版1968年、改訂版の邦訳[権寧/神戸仁彦]は合同出版から1974年)における解釈に代表される言説だ。第一と第二のマルクス主義を否定的にとらえ、マルクスが明らかにしようとしたのは、資本主義社会に生きる人間が、あたかも空気のようにして気づいていない、権力のシステムであるとした。相当難しい知的操作を加えているが、うんと乱暴に整理するならば、この世界は全て因果関係によって成り立っているというアビダルマ(阿毘達磨)仏教の縁起(えんぎ)観に近い構成だ。日本では、廣松渉氏(故人、元東京大学教養学部教授)の見解が、(廣松氏自身は否定すると思うが)アルチュセールに近い。現在、日本の大学でポスト・モダン系とされている論客の多くも、この系譜でマルクスの言説を継承している。
第四は、フランクフルト大学の社会科学研究所に集ったマックス・ホルクハイマー、テオドール・アドルノたちで、フランクフルト学派と呼ばれる。ユダヤ系知識人が多かったので、第二次世界大戦中、フランクフルト学派の人々はアメリカに亡命し、研究を続けた。ホルクハイマーとアドルノの共著『啓蒙の弁証法』(初版1947年、邦訳[徳永恂(まこと)】は岩波文庫から2007年)は、啓蒙により大衆の知的水準や科学技術が発展したにもかかわらず、ナチスのような野蛮な出来事が生じる連関を明らかにした名著だ。要は人間の理性が発揮される部分は、人間世界のごく一部で、シンボル操作によって啓蒙された人々も簡単に思考停止に陥るのでナチズムのような現象が起こるのである。ハーバーマスはフランクフルト学派の第二世代である。]

このあと、いじめっ子に例えながら佐藤優節が全開なのだが、むしろ、上記のような啓蒙的な要約が佐藤氏の特徴だと考える。[NO.1095] 私のマルクスの中では、講座派と労農派との比較説明をまことにわかりやすくまとめていた。

このように、きわめてジャーナリスティックなところが、氏の魅力とされる点かもしれない。

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【追記】160106

31冊紹介。

要約するということは難しい。かいつまんで言うことには思いの外、人柄や知性がにじみ出る。
p75「筆者のブリーフィング(説明)」と佐藤氏は記述している。
ゲンナジー・エドゥワルドビッチ・ブルブリス(この人の肩書きが面白い)に、カレル・チャペックの『山椒魚戦争』を説明したのだという。あらすじが記述されている。

出版社サイトに目次あり。