[NO.581] 文藝/特集 高橋源一郎/2007 夏/第45巻第2号

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文藝/特集 高橋源一郎/2007 夏/第45巻第2号
河出書房新社
2006年5月1日 発行

 ゴシップネタとしては33歳になったという娘さんとの対談。しかし、なんといっても内田樹氏との対談でしょう。二人にとっての共通の友人であった「超えられない壁」と小見出しがついている「竹信悦夫」氏についての思い出話。相変わらずのとんでもない早熟ぶりです。
p131
内田 竹信はどこで吉本隆明の名前を知ったわけ? 六十四年に吉本読んでる人って、日本で千人ぐらいしかいないんじゃない?
高橋 彼は『試行』っていう吉本さんが主宰していた雑誌を購読していたからね。
内田 『試行』ってたしか六一年ぐらいからだよ。
高橋 創刊号があったかわからないけど、『試行』は三号ぐらいからあったと思う。
内田 小学生から『試行』をとっていたわけ? 『試行』なんて発行部数五百ぐらいでしょう。大体どこで『試行』を見つけるわけ?
高橋 どこでみつけたんだろうね。
内田 『試行』って六〇年安保闘争が終わったあとに吉本さんが村上一郎とか谷川雁とはじめたわけでしょ。一一や一二の子どもがリアルタイムで安保闘争の敗 北を自らの実存をかけた問題として受け止めるなんていうことはあり得ないじゃない。何で、竹信が『試行』を読むんだよ。異常だよね。
高橋 だから逆に本を読む人間は誰でも吉本隆明を読んだり、『試行』を定期購読するのかと思って、読んでない自分が恥ずかしかったんだよ。

以下略

この部分の直前に、村上春樹のデビューについて触れているところも興味深かったところです。
p128
高 橋 五月七日に新人賞が載る六月号が発売だった。それで忘れもしない七九年、横浜の有隣堂で一ページ目をめくって読んで、世界で一番衝撃を受けた人間かも しれない。僕はその前に十年分読んでいて新しい作家なんか誰もいなかったので安心していたんです。それが一ページ目を読んで「......いたよ」って(笑)。
内田 高橋さんて村上春樹の話をするといつも話題を変えたがるから、あまり好きじゃないのかと思ってた(笑)。そうか、そういう背景があったのか。
高橋 あの日のことは忘れられない。
以下略

このあと、内田氏が作家名を次々とあげていくのに対して答える場面がおかしかったところ。
内田 橋本さんの「桃尻娘」はどうでした?
高橋 あれもすごいと思ったけど方向が違うという気がした。
内田 じゃあ村上龍は。
高橋 村上龍さんは、きちんと読んだけどあまり才能豊かなんで、まずその点で自分と関係ないと思った。そういうのって全然安心して読めるんだよね。自分とかすらないから。
内田 矢作(俊彦)さんも全然かすらなかった?
高橋 矢作さんは「フィールドが違うな」と思いました(笑)。

矢作俊彦氏は彼らと同い年なんですね。

 それにしても、竹信悦夫氏の早熟ぶりをしめすエピソードは尽きないものです。以前、読んだ『ワンコイン悦楽堂』に掲載された高橋氏と内田氏の対談「竹信悦夫の天才性の解析」を思い出します。
 竹信氏の小学時代から灘中へ入り浸っていたというエピソードは忘れられません。

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