唐代の詩/中国の古典文学5 訳者 奥平卓 さ・え・ら書房 1977年1月 第1刷発行 1996年3月 第8刷発行 |
北村薫さんの「NO.341 続・詩歌の待ち伏せ」で紹介していた本です。この薄いブルーの表紙は著者のいうとおり、確かに見覚えがありました。
面白いです。有名な詩であればあるほど、なるほどなあと思います。訳が、すっかり日本語にこなれているのです。唐詩の有名なものほど、その書き下し文と ともに訳も記憶に残っているものですが、こうやって提示されてしまうと、うなってしまいます。これが口語というものなのですね。文語に対する口語というも のの感触に触れた気がします。(さわりだけでも)。
例えばということで、いくつか引用します。
p88
「黄鶴楼にて孟浩然の広陵に之(ゆ)くを送る」というタイトルの李白の有名な詩では、「孟浩然を送って」となります。さらに転句と結句では
孤帆の遠影 碧空に尽き/唯見る 長江の天際に流るるを
↓
遠ざかる帆影はいつか青空に溶け
眼にうつるのは ただ長江の
天の果てに連なる流ればかり
特に結句にある、倒置の部分を「目にうつるのは」と訳されているのには、ただ感心するばかりです。
上記に歌われている「孟浩然」の作「春暁」も、挙げてみます。
春暁
春眠 暁を覚えず/処処に啼鳥を聞く/夜来 風雨の声/花落つること 知る多少(いくばく)ぞ
↓
春の朝寝の心地よいこと
うとうとと小鳥の声を耳にしながら――
はて ゆうべは雨がしぶいていたぞ
花はもう あらかた散ってしまったのかな
他にも「春望」の訳なども引用したいところですが、きりがありません。「簪」は櫛の意であると習ったものですが、まさか「ピン」と訳すとは。
井伏鱒二『厄除け詩集』も引用紹介されていますが、こちらは七五調の韻文。対する奥平氏の訳は、口語です。
■蛇足ながら
上記、井伏鱒二『厄除け詩集』の中で、もっとも有名な于武陵の「勸酒」を引用します。(奥平氏の引用からなので、孫引きになってしまってマズイのですが)
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
しっかり七五調になっています。この韻文にしたところが井伏訳の特徴でしょう。ところが、サイト検索で出てきた中には、困ったことに間違った紹介がたくさ んありました。(その中には学習塾やその理事長のお言葉のページもありました! それが少しずつ違っているのです。)こんなことって、あるのでしょうかね え?
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