[NO.1666] ユリイカ 2024年2月号 特集=クレイジーキャッツの時代/第56巻第2号(通巻816号)

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ユリイカ 2024年2月号 特集=クレイジーキャッツの時代/第56巻第2号(通巻816号)
青土社
2024年02月01日 発行
277頁

「巨人・大鵬・卵焼き」世代にとって、この『ユリイカ』表紙に映ったクレイジーキャッツのメンバーの名前がすんなり出なかったことに愕然とし、それじゃ、あの時代の読売巨人軍のメンバーは? ウィキペディアを見ている自分にがっかりです。

何人もの人たちが小林信彦『日本の喜劇人』を挙げていることに感激。なにしろ小林信彦好きですから。

P.52
こうしてみるとこの頃(昭和四〇年くらい?)の子供にとって、クレージーキャッツの記憶というのは大したものがない。クレージーキャッツは完全に大人の文化だったのだ。子供にはちょっと早いと言うか、洒落た存在だったということだ。実際「お呼びでない? お呼びでない。こらまた失礼いたしました!」というお決まりのギャグも何が面白いのか、と。逆にそれを楽しんでいる大人たちを見るのが、子供の目には面白かったのかもしれない。

宮川彬良さんはやや年下ですが、ここで言っていることがすんなりわかります。
・クレージーキャッツは完全に大人の文化だったのだ。
・それを楽しんでいる大人たちを見るのが、子供の目には面白かったのかもしれない。

TV番組「おとなの漫画」のどこがそんなに面白いのか、不思議でした。

P.164
特集*クレイジーキャッツの時代
私の人生を決めた人たち
三宅裕司

 一九六九(昭和四四)年頃だったと思う。銀座の東方ツインタワービルの地下にあったジャズ喫茶ヤングメイツで、ハナ肇とクレイジー・キャッツが何年か振りにジャズ喫茶のステージを再現するライブがあった。
(略)
 白いスーツにリボンタイのメンバーが一人、二人とステージ上に登場し、何気なく楽器を手にし、スタンバイしていると中央あたりにある螺旋階段からあの独特の笑い声と共に人を食ったような態度で植木さんが現れる。それだけで会場はクスクス笑いに包まれた。いきなりジャズコンボの生演奏で「クレイジー・リズム」が始まる。グループサウンズとはまったく違う大人の格好いいサウンドと始まり方に鳥肌が立った。(略)

 クレイジーキャッツの笑いと音楽の格好良さに憧れて、中学でエレキバンドを始め、高校で落語研究会とR & Bのバンド、大学では落語研究会に入りながらジャズコンボバンドとコミックバンドを創った。そして、ミュージカル・アクション・コメディーの劇団を創り、芸能界デビューした。『シャボン玉ホリデー』みたいな番組がやりたかった......。
 しかし、ドリフの『8時だョ!全員集合』が『オレたちひょうきん族』に視聴率で抜かれ、時代は台本で創り上げる音楽と笑いのバラエティからスタジオトークの笑いへと変化していった。もう少し早く大谷翔平に「憧れるのはやめましょう」と言って欲しかった......。

 ◆ ◆

これだけ大人数の書き手がいる中から宮川彬良と三宅裕司のお二方を選んだところがなんだかな。自爆。

インタビューの二人が山田洋次と伊東四朗。これだけでも贅沢ですよ。お二人とも抑制が効いてます。本当はちょっと......であっても、そこは品良く抑えて。察することのできない方はご遠慮願います、って。そんなこと言いませんがね。
大人の文化
グループサウンズとはまったく違う大人の格好いいサウンド(と始まり方)

そりゃあドリフとは違いますよねえ。こっちは「春休み漫画祭り」の乗りでしたから。

大瀧詠一のラジオ関東をあわてて聞いたのはいつだったか。小林信彦『日本の喜劇人』もそうですが、マニアの間でクレイジーキャッツを熱く語る声が聞こえてきたのも同じころだったような。

それにしても、今回の特集は贅沢,でした。映画『馬鹿が戦車でやって来る』(ばかがタンクでやってくる)なんて、すっかり忘れていましたよ。結構これって好きだったんだなということを思い出しました。半鐘の梯子に登っていたのが犬塚弘だったのを忘れていたとは。あんなにも哀愁あったのに。その犬塚さんが亡くなって、この特集が組まれたのですね。

テーマと書き手がよかったのかな。企画? こんなに欲張ってくれたユリイカ編集部に感謝です。

 ◆ ◆

出版社サイトに目次が掲載されています。リンク、こちら 

特集*クレイジーキャッツの時代

※対談
移譲と再興 / 菊地成孔 佐藤利明

※クレイジー・メモリアル
クレージーキャッツ・グラフィティ / 髙平哲郎
これぞ私の「クレージー!」 / 宮川彬良

※遅れてきた〈クレイジー〉
世代論によるクレイジーキャッツあるいはクレイジーキャッツによる世代論 / 近藤正高
渡辺プロダクションと〈戦後的なるもの〉――芸能ビジネスの近代化とその行方 / 太田省一
ヴァナキュラー・モダニズムとしてのクレイジーキャッツ / 長谷正人
『シャボン玉ホリデー』――日曜夜六時半の快楽 / 小川博司
テレビアーカイブから何が見つかるか――クレイジーキャッツとテレビの〈黄金時代〉 / 石田佐恵子

※インタビュー〈1〉
クレイジーキャッツの善き人々 / 山田洋次 聞き手・構成=戸田学

※馬鹿と無責任
山田洋次監督作品とハナ肇とクレージーキャッツ / 戸田学
〈無責任男〉の登場――戦後娯楽映画の変容 / 小倉史
クレイジーなマドンナたちの変容 / 小川佐和子
どなたもご存じではない――テレビドラマのクレイジーキャッツ、その芸と色と / 濱田研吾

※インタビュー〈2〉
音楽とコメディの幸福なひととき / 伊東四朗 聞き手=編集部

※青春のスターふたたび
私の人生を決めた人たち / 三宅裕司
クレイジーにのぼせて / 向井康介

※クレイジーが笑う
クレージー・オン・ステージ――大劇場のクレージーキャッツ / 中野正昭
喜劇史・笑芸史におけるクレイジーキャッツ / 西条昇
クレージーキャッツを古典芸能から笑い直す / 葛西周
笑いの二つの身体――植木等と松本人志 / 鈴木亘

※クレイジーキャッツ・ミュージッキング
「クレイジーの洗面器にタタかれたい!」――昭和のまんなかにいた、ほんとうにオモシロイおじさんたち / 山本正之
いつの世にもクレイジーキャッツ / 鈴木啓之

※ディグ・アンド・リッスン
クレージーキャッツと大滝詠一 / 湯浅学
あたしのクレージーキャッツ / 輪島裕介
『スイングジャーナル』における、ナベプロからの「暑中御見舞」の研究 / 大谷能生
「スーダラ節」考――笑いとグルーヴは同義である / 渡邊未帆
〈ア段〉のリズムとC調――植木等の笑顔について / 矢野利裕

※クロニクル
ハナ肇とクレイジーキャッツの時代 1945-1995 / 佐藤利明

※忘れられぬ人々*28
故旧哀傷・米川哲夫 / 中村稔

※詩
出逢わない 他三篇 / 小川芙由

※今月の作品
栫伸太郎・たかすかまさゆき・井口牧子・近藤太一・沖田めぐみ / 選=井坂洋子

※われ発見せり
泥棒を待ちながら / 伊多波宗周

表紙・目次・扉=北岡誠吾

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 ◆ ◆

【重箱の隅つつくの助】

P.53
こんな面白い事象には、音楽だけやっていてもなかなか出会わさないわけで、それが今、自分らの目の前で植木等が歌っているのだもの。

出会わさない」には違和感ありました。「出会わす」で検索すると、次のよう。

「出会わす」は「出くわす」の古形または書き言葉的な表現です。偶然に、または思いがけず人と会う、何かと遭遇することを意味します。 リンク、こちら