ユリイカ 2024年11月号 特集=松岡正剛1944――2024/第56巻第13号(通巻827号) 青土社 |
8月に亡くなった松岡正剛さんの特集号。本誌のどこにも「追悼」の文字はありません。そういえば、ユリイカ2020年5月臨時増刊号 総特集=坪内祐三 のときも、そうだったっけ? いや、追悼の文言はあったはず。立花隆特集も含めて、ユリイカの特集号の記録(感想文)は残していなかったような。記憶は加速度を増して薄らいでゆくばかり。植草甚一特集号はどこにやった? 耄碌は光速の域かも。駄文であっても、やっぱり残しましょうか。雑誌でも、こうした特集号は「本のあれこれ(読書記録)」のカテゴリーに入れてもいいのかな。
ついでに記せば、新聞などでの追悼記事は目にしても、追悼号(あるいは、追悼号的な)を出した雑誌は(本誌のほか)見かけませんでした。もしかすると、ムックのようなものでもそのうちに出やしないかと、しばらく待ってみましたが。ある意味、なるほどです。「ユリイカ」で特集号、それはそれでなるほど。
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なかなかに凝った特集号です。書き手の幅広さが違います。もちろん、テーマも。
出版社サイトに目次がありました。リンク、こちら
寄稿の多くが編集工学についてと松岡正剛さんとの個人的な思い出について。ところが、なかには違ったものも。種類がなんとも多様。特に印象に残ったところを幾つか挙げてみます。
(松岡正剛本人の文章がトップなのは、おいておくとして)、巻頭に高橋睦郎さんの詩「虹――松岡正剛に」があったことが、ユリイカらしさでした。巻頭詩です。
詩人でいえば、帷子耀.さんの「手紙 一角の私/響きわたれ「ナムセーンス」」もなかなか。帷子耀.さんの初めて活字になったものが、当時書店で無料配布していた「ハイスクール・ライフ」というフリーペーパー。その編集者が松岡正剛さん。23歳のとき創刊して2、3年続けたといいます。
まあ、その当時の若気の至りというような内容が、帷子耀.さんの詩とともに掲載されています。へーえ、とおもってネット検索すると、すごいですねえ。『the high school life(ハイスクールライフ)』総目録 というものがヒットしました。リンク、こちら ユリイカ記事にある「金井美恵子」についての項目とともに帷子耀.さんのお名前が見つかりました。誤字・誤植はご愛敬かな。
フリーペーパー「ハイスクール・ライフ」のレベルは高級です。「千夜千冊」のなかで松岡さんも言ってますが、レベルが高くて、とても高校生向けなんかじゃありません。
いいだもも『ベーコン「ノヴムオルガヌム」』ですよ。ラインナップのなかには、手塚治虫『ドストエフスキーとロシア文学』なんてものまで。いいだもものベーコンはさておき、手塚治虫さんが書いたドストエフスキーは読んでみたいです。
「ハイスクール・ライフ」への数多い寄稿者の名前を見ていると、現代詩の詩人が多いことに気がつきました。なんだか思潮社から出ている現代詩文庫の詩人名を見ているよう。
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「松岡正剛さんと稲垣足穂さん」のタイトルであがた森魚というのはなんだか納得するとして、井上鑑はどんなつながりが?
「連歌・鳥の歌」プロジェクト リンク、こちら
あのパブロ・カザルス「鳥の歌」のプロジェクトです。井上鑑さんがプロデュースしたとのこと。松岡正剛さんに「鳥の歌」日本語歌詞を依頼したのだそうです。
「連歌・鳥の歌」プロジェクト のサイト内に松岡さんの朗読動画もあります。リンク、こちら 「ユリイカ」井上鑑さんの寄稿文には、松岡正剛さんの作った歌詞「鳥の歌」も掲載されています。
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本当はこれがいちばんに驚いた寄稿でした。(最初に取り上げるべきと思いながら、ついつい先延ばしになってしまいました。)
前置きはこれくらいで。
P198
特集=松岡正剛
松岡正剛の「工作」と報道技術研究会の編集工学
大塚英志
この記事を寝落ちしそうになりながら読んでいて、陰謀論じゃないけれど、こりゃわざと策略で載せているんじゃないか? なんて思ったものです。なぜって、数ある寄稿記事のなかで、こんなに批判的なものを載せていいのか? と深読みしてしまいます。ほかでは見たことがありません。ふところが深いというのか。この「ユリイカ」は、追悼と銘打っていないだけであって、松岡正剛さんが亡くなって直後に出た特集号だよな、と自問自答。
書き出しからして戦闘的で、〈正直に言うと松岡正剛の本を読むのは今回が初めてである。〉から始めている。続きが〈この原稿の依頼を受けてから Amazon で『知の編集工学』を買った。そう記すのは、何かマウントをとりたくて斜に構えているからではない。そういう年齢でもない。〉これが冒頭。十分なつかみです。
松岡正剛の名前を初めて聞いた民族学を学ぶ学部時代のエピソードが披露されます。
P198
そして、松岡について「こいつな」と切り出したのは上級生で、それは彼が大学院生から聞いた以下のような話だ。
「この松岡って奴が家電メーカーの会議に出た時の話なんだが、テーマはエアコンの広告についてで、いきない「エア」とは「気」、「コン」とは「魂」である、と言い出したんだとよ」
冗談にしては面白くもなんともなかったが、どうやら実話のようで、そもそも民族学が何で家電メーカーの会議で持ち出されるのかがわからなかった。(途中略)それが松岡への第一印象で、僕などにいわれたくもないだろうが要は胡散臭かった。(途中略)その時、上級生は「こんなことを言うだけでお金がもらえる世界があるんだなあ」としみじみと言ったのは、社会科の教員になるしか食い扶持が稼ぎようのない民族学をうっかり専攻した学生の嘆きだった。バブルはまだ遠かった。(途中略)
だが、ぼくが松岡正剛なり工作舎の書物に近づかなかった一番の理由は、やはりプロパガンダの匂いにある。
(途中略)
そしてぼんやりとこの業界(広告業界のこと)の人と方法が実は「戦前」に繋がっている気配を感じもした。『FRONT』は既に復刊されていたので、セゾングループなどの先鋭的な広告写真の出自がそこにあることも実感もした。(途中略)
だから、ぼくが松岡の「編集工学」に対して先入観としてあったのはプロパガンダの気配であり、戦時下の「国家広告」の方法だった。
今では、電通の「方法」の出自を追えば報道技術研究会に行き着き、Y.M.O. の細野晴臣がキャンティの川添浩史を介して戦時下の極右知識人グループ・スメラ学塾の水派(ママ)の末にあることは公然と語られている。
そして、ニューアカにせよ広告にせよY.M.O. にせよ、八〇年代の文化は全共闘世代の転向文化であり、彼らの屈託は直接接すれば言葉の端々に感じ、正直に言えばぼくはその世代を軽蔑さえしていた。
〈Y.M.O. の細野晴臣がキャンティの川添浩史を介して戦時下の極右知識人グループ・スメラ学塾の水派(ママ)の末にあることは公然と語られている。〉というのは、わかりませんでした。(水派は水脈の誤字でしょうか)。
細野晴臣さんの出自がどうのこうなのか、それとも細野さん自身の思想が、ということを指すのか。なんだかな。
いずれにしても、Y.M.O. メンバーだった坂本龍一という人は、どうだったのか。坂本一亀が父親だし、新宿高校時代はバリ封やったくちだもの。黒っぽいタートルネックのセーターで撮られた庄司薫君ふうの写真がありました。ちょっとうつむいて手にした本が廣松渉『世界の共同主観的存在構造』。もちろん勁草書房の版。あの時代ですからねえ。そんなだから、Y.M.O. の時代に、どこまで自覚があったのか。
P206
だが一つだけ言えるのは「工作舎」の「工作」は「文化工作」や「宣傳工作」の「工作」であって、図画工作の「工作」では決してないだろうということだ。そのことを松岡がどこかでカミングアウトをしているかどうかを僕は知らない。
だがかつて感じた工作舎やY.M.O. の奇妙なプロパガンダ臭さの背景には確実に戦時下の国家広告の方法があり、松岡が無自覚なのか業界の流儀として「ウォッシュ」したのかはさておくとしても、そのひどく「浅い」ベールの下にある「工作」技術の所在にはやはり神経質にならなくてはいけないとオトナ気なく思う。(途中略)
ぼくは以前、役人やそこに連なる研究者が不用意に使う「協働」は新体制用語だと一人苛立っていたが、かつての「報道技術」=「編集工学」が「心からの参与」のための方法であることは変わりなく、その参与する「世界」は、結局は、松岡の文庫本の刊行後、プラットフォームとしての本質を露わにした「国家」なのである。その「国家」への「参与」を自己啓発的編集と言いつくろうのが『知の編集工学』が用意したものなのではなかったか。だから、「編集工学」は「ウォッシュ」された「国家広告」「文化工作」の方法だというのが松岡に下し得る僕の唯一の結論である。
(おおつか えいじ・まんが原作者)
そういえば、大塚英志さんの著書に『「暮し」のファシズム 戦争は「新しい生活様式」の顔をしてやってきた』(筑摩選書、2021年)や『大東亜共栄圏のクールジャパン 「協働」する文化工作』(集英社新書、2022年)がありました。
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最後に山本貴光さんの寄稿を挙げます。
P272
特集*松岡正剛
読書、この捉えがたきもの
山本貴光
1 ゲームマスター
2 すべては編むために
3 雑であること
4 編集するとなにがうれしいのか
5 対象と私のもつれあい
6 のるかそるか
7 読書、この捉えがたき謎
〈4 編集するとなにがうれしいのか〉には、おかしくて笑ってしまいました。いったいなにがうれしくて編集(読書)をするのか?
数多くの寄稿者の最後を飾るこの文章、その末尾に、この「ユリイカ 特集*松岡正剛」の編集からのまとめがあるのかもしれません。
P280
あれほど読書に時間を費やし、本と遊んできた達人プレーヤーが、最後まで分からないと言ったこの謎こそは、実のところ松岡正剛が本を読む者たちに遺した最大の贈り物なのではないかという気がいまはしている。その内実を知るには、このプレーヤーが試行錯誤をした様子をそのつもりで直視してみることから手がかりも得られるに違いない。そんなこともあって、遠くない将来、然るべき書き手によって、松岡正剛の仕事全体を検討し、一九七〇年代から二〇二〇年代にいたる日本の文化史に位置づける仕事がなされることを期待している。
この末尾にいたるまでの経緯は、松岡の読書にまつわる本(雑誌)を紹介しながら、「読書(という行為)は分からない」(と松岡が言っている)ということを述べます。書いていてもまだるっこしい。
・『遊』1981年8・9月号の「読む」特集
松岡が「遊塾」という塾を開いて受講生に話した「遊塾読書術」(記録=米澤敬)
・『多読術』(ちくまプリマー新書、2009)
・『遊読365冊』(2018)「読書という面妖な行為について」から
もっと謎が多いのは読書という行為の正体だ。いったい何の本をどう読んだのか、その一冊の全体の感想は言えるだろうものの、読んでいるときのプロセスがうまく取り出せない。納得のぐあい、はずれた感じ、ぐいとひっぱられた快感、胸の高まりや詰まり方、困った印象、あとから引用したいと思ったところ、これらはその本を読んでいるときは実感していたはずだろうことなのに、いざ読みおえるとさっぱり取り出しにくい。取り出そうとすると、縮退してしまうか、散逸してしまう。
(『遊読365冊』218頁)
続けて、書評でよく取り上げられたあの本からも引用します。
『本を読むときに何が起きているのか ことばとビジュアルの間、目と頭の間』(ピーター・メンデルサンド、細谷由依子訳、フィルムアート社、2016)
先の〈『遊読365冊』(2018)「読書という面妖な行為について」〉を書く前に、当然のことながら松岡正剛さんも『本を読むときに何が起きているのか』は読んでいたことでしょう。あれっ? 『本を読むときに何が起きているのか』って、山本貴光さんも訳者じゃなかったっけ? こういうとき(紹介するとき、自分の名前は書かないものなの?)
なんだか、わけがわからなくなってきましたぞ。
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