決定版 世界の喜劇人 小林信彦 新潮社 2024年04月05日 発行 441頁 |
小林信彦さんの『世界の喜劇人』が、決定版として今年の春に出版されました。この本がどれだけすごいのかは、出版以来の数ヶ月間に出された書評やコメントで見られます。
簡単に言ってしまえば、これを「労作」と呼ばずして、なにを労作と呼ぶかです。まず、「書誌」としてみて、本書がこれまでたどってきた出版の経緯がすごい。P.434〈『決定版 世界の喜劇人』あとがき〉に、これまでのことが出ています。
本書の文庫版は、『日本の喜劇人』のそれにつづいて、一九八三年に世に出た。まず、その新潮文庫版『世界の喜劇人』の〈文庫版あとがき〉をお読みいただきたい。
として、抜粋をしています。ここでは孫引き風に部分的に引用します。
本書には、三つの異本(ヴァリアント)がある として
a「喜劇の王さまたち」(校倉(あぜくら)書房・1963年) b「笑殺の美学」(大光社・1971年) c「世界の喜劇」(晶文社・1973年) |
を挙げます。
aは、本書の第二部にあたる「喜劇映画の衰退」三百枚(「映画評論」1961年2月号~6月号)を中心にして、若干のエッセイを加えたもの。
bは、「喜劇映画の衰退」を第一部とし、第二部として「喜劇映画の復活」を書下ろした上に、佐藤忠男氏の序文と渡辺武信氏の解説でサンドイッチ状にはさまれたような本。「笑殺の美学」という書名は、大島渚氏の命名による。
cは、この文庫版とほぼ同じものであり、a → b ときた内容に、「世界の喜劇人」(「新劇」1973年9月号)と「幼年期の終わり」(書下ろし)を加えて、底本にした。
そして、「喜劇の王さまたち」出版から丁度二十年たって(「二十年たって」に傍点)、この文庫版が世に送られる。
まだ、このあとも続きますが割愛します。末尾に記された日付が
(一九八三年十月)
です。そして、これらの抜粋に続く本書のあとがきの日付が
二〇二四年三月
小林信彦(もう九一歳になりました)
というところにドキッとしました。こんなこと、これまでの小林さんなら書かない気がしていたものですから。
ちなみに、
映画の中において私が自分の眼で見ることができた喜劇人に、対象が限定されるのは、いうまでもない。
というところに強い矜恃があらわれています。
P.442~443「底本一覧」は、見開きにページがにまたがっています。ここで底本として挙げられている本のタイトルだけでも抜粋します。
『世界の喜劇人』新潮文庫
『映画を夢見て』ちくま文庫
『地獄の観光船』集英社文庫
『笑学百花』新潮文庫
『コラムは笑う』ちくま文庫
『コラムの冒険』新潮文庫
『コラムは誘う』新潮文庫
『人生、何でもあるものさ』文春文庫
『わがクラシック・スターたち』文藝春秋
『われわれはなぜ映画館にいるのか』晶文社
『映画が目にしみる 増補完全版』文春文庫
『昭和が遠くなって』文春文庫
『花と爆弾』文春文庫
最後に、さりげなく置かれた一行には
刊行にあたり全編に加筆修正を施しました。
とあります。骨折入退院のときの体験記『生還』を思い出します。
出版社サイトに「目次」が掲載されています。表示するには、記事の中の《目次》をクリックする必要があります。(こんなの、老人には不親切だよね。デザイン優先のページだ) リンク、こちら
P.10
本書のⅠは新潮文庫版『世界の喜劇人』(一九八三年刊)を底本としています。現在時は基本的に一九八三年当時ですが、便宜上、その後の情報を取り入れている箇所もあります。Ⅱは、Ⅰで描いた以降の喜劇人や喜劇映画をめぐるエッセイで構成し、全体で二十世紀初頭から今世紀までの喜劇をめぐる一つの通史になるよう試みました。 著者
◆ ◆
研究書でありながら物語をもった読み物になっているところが魅力です。
巻末「主要人名索引」は2段組9ページにわたる詳細なものです。
まえがき「はじめに」 に
P.15
ギャグの質の高さ・低さは、その国の文化のレヴェル(「その国の文化のレヴェル」に傍点)と関係があると思う。
とあります。小林信彦の宣言みたいです。
この「はじめに」には、
P.13
(太平洋戦争の終わったあと)アメリカ人は非常に親切だったから、日本に民主主義を教え込む為には、アメリカ映画をたくさん見せるのが良いと判断した。そして、日本人をアメリカ映画漬けにする方針を立てたのである。(途中略)
くどいようだが、アメリカ人は親切なので、たとえば、『怒りの葡萄』のようにアメリカの暗黒面を描いた映画は日本人にみせないほうがいいだろう、と気をつかった。(途中略)
そうすると、残るのは、心あたたまる(「心あたたまる」にルビで「ハート・ウォーミング」)映画と喜劇とスリラーである。(途中略)
GHQは親切だったから、きわめて高級なコメディからスラップスティック・コメディ(=どたばた喜劇)までを、占領下の日本人にみせてくれた。(以下略)
その最後のところで、上で挙げた「ギャグの質の高さ・低さは......」につづきます。
本書の冒頭におかれた「アメリカの親切」について、小林さんのお考えが出ていそうです。この部分を読み飛ばしてしまうと、週刊誌に散々悔しそうに書いていた政治への不満がかみ合わなくなってしまうでしょう。
小林さんの言い方をまねると、出だしで、ずっこけてしまいました。
P.13
少しでも読者と関係のあるところから話に入りたい。
とはいえ、多くの若い読者は信じられないことだろうが、われわれの祖国ニッポンは、アメリカという大国相手に大きな戦争をやる破目になった。(以下略)
ここで小林さんが(本心かどうかは別として)、想定している(といちおう仮定する)若い読者は、日本がアメリカと戦争をしたことを、今や信じられないと思っている、と記しているのです。なにがいいたいいんだ? それほど脳天気なのか? あるいは占領政策の成功がそうさせたといっているのか?
◆ ◆
P.38
尾羽(おは)打ち枯らす
つまり、読めない読者がいると想定しているらしい。
P.126
〈珍道中〉物ときいただけで、昭和ヒトケタ生まれの映画マニアたちがニコニコしてくることを、私は知っている。
ここを読んで、うれしい気分になりました。同時に、『ちはやふる奥の細道』を読んだことを思い出しました。ワサビ!
『シンガポール珍道中』
P.130
それから、これは見ていない方にはちょっと説明しようがないのだが、のちの作品でくりかえして使われる例の〈セッセッセ〉がすでにここで用いられることである。つまり、命が危くなると、ビングとボブがセッセッセを始め、切れ目のところで、横に呆然としている加害者をノシてしまうというギャグである。
深い記憶の奥底から思い出されてきましたよ。そのシーン。もちろん、『シンガポール珍道中』なんかじゃなくて、もっとメジャーな作品のシーンなのでしょう。幼いころではなくて、小学生か中学生あたりのころではなかったかな。白黒でやたらと古いアメリカ映画を放送していた当時のテレビ番組の中で見たような。
ああ、そんなこと、すっかり忘れていました。当時は、いい大人が手を握り合う? というか、文字どおりセッセッセなんかやって、どうなっているんだ? と不思議に思ったことを薄ぼんやりと思い出しました。だって、危機に瀕した緊急時にですよ。
そういうことだったのですね。
本書を読むと、劇を演じている役者が、いきなり一瞬だけ観客に話しかけるギャグ? (これをギャグと呼ぶ小林さんが新鮮に感じられました。)なんかも、アメリカのコメディアンたちの技法の一つなんだということ。
だから、浅草のコント出身である、渥美清とかあの手の人たち。谷幹一とか関敬六とか、ちょっとおしゃれな感覚の人たち。ルーツは戦前のアメリカのギャグ。
結局、Amazonプライム・ビデオ で検索、『シンガポール珍道中』をみてしまいました。思ったよりも早いところで登場していました。セッセッセ これです、これ! ビング・クロスビー、ボブ・ホープ、ドロシー・ラムーアの珍道中シリーズで使われたギャグ、セッセッセ
コメント