長くなるのでまたにする。 宮沢章夫 幻冬舎 2015年03月20日 第1刷発行 282頁 |
先日読んだ、『宮部みゆきが「本よみうり堂」でおすすめした本 2015-2019/中公新書ラクレ 803』(宮部みゆき著)に本書が紹介されていました。宮沢章夫さんの本は『時間のかかる読書/横光利一『機械』を巡る素晴らしきぐずぐず』(河出書房新社刊)を以前読んだことがあります。なかなか「ぐずぐず」して「素晴らし」かったのですが、本書もそれに負けず劣らずでした。
◆ ◆ ◆
タイトル「長くなるのでまたにする」と同じ小見出しがあります(P48)。冒頭、どうしてこのタイトルが出現したのか、その理由が紹介されます。
ほぼ毎日のようにブログを書いていたとき、「しばしば(途中略)書く言葉だった」のだそうです。宮澤さんは、「ブログにしてはやけに長文を書いてしまった」とき、「長くなるのでまたにする」で「文章を結ぶ」ことにしていました。そのころ、「書名(考えるの)に苦労をしてい」たところ、「こういうのはどうでしょう」とアドバイスされたのが、「長くなるのでまたにする」でした。
そこから、ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』やプルーストの『失われた時を求めて』や安藤忠雄の『建築を語る』まで引っ張り出して、論考は展開(?)します。ぐずぐずと。だから、なんだといわれても、どうもありません。
◆ ◆ ◆
目次が終わって、本文の始まる手前のページに一行「これはすべて本当の話です。」とあります。あとから、じわっと思い出されてきます。まるで、海外ドラマ『FARGO/ファーゴ』のよう。
で、いかにも実際にあったんだろうなと思わせられるのが、P129「2 出来事――「夜十一時過ぎのファミレスが混んでいる」です。
初台のオペラシティのすぐ裏手にあるそのファミレスは、夜十一時過ぎにほぼ満席。はたして、その理由は? 論考はぐずぐずと展開します。
奇妙な人が目立つ夜のファミレスの例として、「呼び鈴を持ちこんでいる客」「大量の新聞をテーブルに並べて同時に読んでいる客」が紹介されます。とくに前者がすごいですよ。
P132
その客は、ホテルのフロントにあるような、ホテルマンを呼び出すためにチーンと鳴らすあの呼び鈴をファミレスのテーブルの上に置いていた。意味がわからない。何度も呼び鈴が鳴る。呼び鈴を鳴らして店員を呼び、水を飲む。いったいなんのつもりだ。
◆ ◆ ◆
改行の妙技、宮沢さん
P278
おわりに
もともとそうだったが、私は同じ話を何度もする。先日もある編集者と話をしていると、私が話したことの多くが、その編集者と作った単行本に書いたことだった。
「それ、この本に書いてありますよ」
話すたびに指摘され、自分でもあ然とした。
なにかがだめになっている。
いや、だめなのかどうかもわからない。
なぜなら、「だめになっている」という進行形だったり、年齢のせいというか、つまり記憶力の衰えと言えないのは、最初に書いたように、二十代から変わっていないからだ。学生のころにも、「きみ、おじいさんなの、その話、もう何度も聞いたよ」と言われたことがあった。(以下略)
◆ ◆ ◆
この言い回し
P163
人から教えられたのは、いまの○○が(は)、○○だという話だ。
東京右半分/都築響一/筑摩書房2012.3
異常性格の世界/西丸四方/創元社2016.6
コメント