本の雑誌2022年10月号 カボチャ抜けだし号 特集=あなたの知らない索引の世界

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本の雑誌 2022年10月号 
カボチャ抜けだし号 
特集=あなたの知らない索引の世界

特集は「あなたの知らない索引の世界」です。三中信宏さんによる冒頭記事からして「索引のない本はただの紙束である!」という、身も蓋もないタイトルでした。この言い方って、学術書では必ず言われることです。

註・文献・索引の三点セットを切り捨てる日本の翻訳業界の"悪行"を見るたびに(三中さんは)『地獄に落ちろ』と毒づいているのだそうです。原著にはある詳細な註・文献・索引を翻訳時にすべて削除する伝統的な悪弊があるのだとのこと。

読んでいて、へえ! と思ったことに、「電子書籍」で検索するのと紙の本の索引とでは、どういったところが違うのかという点がありました。

大御所対談 

●索引偏愛対談
目次は地図で/索引は成分表示なのだ!
=山本貴光・吉川浩満

の P17 に、索引と目次とを併用する使い方として紹介されています。たとえば、『メルツバッハ&ボイヤー 数学の歴史Ⅰ』(朝倉書店)で古代ギリシアの数学者「ユークリッド」の索引に出てくるページと目次を比較すると、古代だけでなく、中世・近代・現代の説明のなかにもたくさん出てくることがわかる。そこから古代人のはずのユークリッドが数学の歴史全般に出てくる重要な人物であることが、中身を読まなくてもわかるといいます。対する電子書籍では、そこがうまく使えないことがある。もともと目次と見比べながらという使い方は(電子書籍では)想定されていない。単純に検索してピンポイントに辿り着けばいいだろうというつくりなのが、電子書籍なんだとも。

そういえば、そんな使い方をしたことが自分でもあったことを思い出しました。調べものって、そうですよね。ネットでちゃちゃっと検索するのとは、やり方が違います。参考図書の一覧がたくさん挙げてあるのを見て、うれしくなったりしたものです。

紙の本の索引はあくまでも索引の作者が大事だと思った言葉だけ拾ってある。なんでもかんでも拾ってあるわけじゃない、というところを読んで、腑に落ちました。だから、現代のインターネット検索が言葉の意味や価値がどう違うかを全く判断しないで、単に文字列として全部拾ってくるのとは対極だともいいます。それでは九割九分ゴミが出てきてしまう。索引はそうではない。

索引のことから、いつの間にか、ネット検索の話題になっていました。なにしろ山本貴光・吉川浩満という大御所の対談ですから。

二人の共通の師 赤城昭夫先生の教え。学術書は通読したら三十時間かかったりする。だから、最初に十分間、目次と索引とリファレンスを見ろ。そうすれば、「どんなストーリーが展開されていくのか」「どんな言葉が出てきて」「そこからどこを読むか決めて進め」。

目次は地図。この町はどんなものがどんな配置になっているという全体のマップが目次。索引は成分表示で、何からできているかということ。リファレンス(参考文献)はそれをどんな材料で作っているかという材料の出どころ。

材料の出どころも実は大事で、ちゃんとした素材を使っているのか。怪しげなものを使って論じていないかは参考文献を読めば、たちどころにわかる。右派だとか左派だとか、最近の本しか見ていないとか、古い本ばかり見ているとか。

小説(それも長編の場合)では、登場人物の表のようなものを自分で作ったりも。あるあるですよね。ノートを作ったりとか。人物相関図や地図、年表、伏線の配置、自作の目次というよりも構成図だったり。SFでは専門用語抜粋と解説、推理ものでは......きりがないなあ。

あれま! と思ったことに、P20 で挙げているマルクス『資本論』新日本出版社、新版(全12分冊)の最終巻、索引が大きな割合を占めている。総合目次、人名索引、文献索引。というところを読みながら、思い出していました。中公文庫版『折口信夫全集』の索引の巻だけ持っていたはずです。お金のない学生時代、新刊で買ったはず。そんな知恵を最初から持てるはずもなく、もしかすると紀田順一郎さんあたりからの受け売りかもしれません。まだコンピュータはモナ・リザをドットプリンターで打ち出して喜んでいた(?) 時代。

最後に、おやまあ! と思ったこと。『吉野朔実は本が大好き』(吉野朔実著、本の雑誌社刊)には、ほとんどのページにノンブルがない。それなのに厳密な索引がある。つまり、ノンブルがない本には索引がつけようがないという前提を覆した本である。途中途中にノンブルの入っている文章のページがあるので、なんとなくおおざっぱな見当がつけられなくもない。(コミックエッセイの本です。)

インデックス界における奇書中の奇書。インデックス界の奇書大賞に決定。

 ◆  ◆

三中信宏さんは、この2年間に「本の本」を立て続けに上梓したのだそうです。いいぞ、いいぞ、「本の本」。

読む・打つ・書く――読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(三中信宏、東京大学出版会、2021年)
読書とは何か――知を捕らえる15の技術』(三中信宏、河出新書、2022年)

P24
●索引の作り方
著者の力量と熱量を
伝えるのだ!
●神谷竜介(千倉書房)

「意外と誤解しているかたが多い」としながら、明かしていることに「索引を引く主体は編集者ではなく、著者である」ことです。ここでのポイントは「索引を引く主体は」というところでしょう。「そもそも、その書籍を読むに当たって、どの言葉が重要なのか、どの言葉に意味を見出して欲しいのか、最終的な判断を下せるのは著者だけである」といいます。そりゃそうでしょう。つまり、「索引作りの最初のステップである、取り上げる項目を選ぶ作業は著者にお願いしなくてはな」らないということになります。「索引」ではなく、「取り上げる項目」なんです、著者が選ぶのは。

もっとも、笑ってしまったのは、「索引って印刷会社とかに作ってもらえるんじゃないんですか!」とまで言われたこともあるそうです。


P32
●読者アンケート
この本の索引が
すごい!

から抜粋です。

日本SFこてん古典 3 未来への扉』横田順彌/集英社文庫

記者ハンドブック』共同通信社編著/共同通信社

自然のレッスン』北山耕平/太田出版

ナツイチ 夏の一冊』集英社文庫
この投稿文は愉快でした。

☆本好きの夏の風物詩と言えば、集英社の「ナツイチ」、角川の「カドブン」、新潮社の「100冊」。各社のおすすめ文庫冊子ですよね。本屋でゲットしたら、巻末の作品索引から開き、何冊読んでいるか確認(古典の多い新潮社が5割位で、後は3割前後)。どの作家のどの本がチョイスされているか鬼チェック。
 三冊の中で「ナツイチ」だけが、索引に作者名と作品名が連記されているので確認しやすいんです。「今年はこの作家はこの本ということは、もしや映画化! まさか文庫オリジナル!」など、勝手に邪推し、本文に戻って答え合わせ。とっても楽しい遊びなのに、賛同者が皆無なのが残念です。
(江森美香・やっぱり本ヲタケアマネージャー58歳・長崎市)

日本語逆引き辞典』北原保雄/大修館書店
昔、はやりました。この逆引き辞典の類。広辞苑の逆引きなんてのまであったかと。

文学効能事典』エラ・バーサド、スーザン・エルダキン/金原瑞人、石田文子訳/フィルムアート社)
【読書の悩み】索引が巻末にまとめられているとのこと。


P30
索引よもやま話
●書物蔵

今回の特集記事のなかで、いちばん濃い内容でした。なにしろ、書物蔵さんの記事ですから。

六つの項目に沿って書かれています。そのどれもがいいので、困ってしまいます。選びようがありません。無理して一つ。

■索引とは言葉を引くのでなく概念を引くもの

 索引は本文の重要な言葉、語句を探し出すものと思われているが、実は違う。語句を探し出すものは用語索引(コンコーダンス)と言われるもので、索引(インデックス)とは違うものとされている。では、索引は何を探し出すものか? 書かれているコトバではなく事柄=概念を探し出すものなのである。


残りの項目だけでも抜粋します。

■書物に索引を付けない奴は死刑?
品川力のはなし

■索引は排列と見出し立てが問題
専門的に並べることを排列と書く(「配列」は戦後の新しい書き方)。藤田節子『本の索引の作り方』(地人書館、2019)

■排列――例えば画数順の『東京書籍館書目』
『東京書籍館書目』は明治9年の出版。国立国会図書館のデジタルコレクションのサイトで見られる)

■索引のお手本、鈍器本『独学大全』

■コト葉でなくコト柄で
大串夏身『レファレンスと図書館』(皓星社/2019)


今回は特集のみでオシマイです。