本の雑誌2022年9月号 特集=本を直す!

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本の雑誌2022年9月号471号 
一日千秋コオロギ号 
特集=本を直す!

顔から火が出る思い、すなわち若気の至り。気がつかないというのは、それだけ人生経験が乏しい学生の特権? そんなことないでしょ。

P39
●ユーカリの木の陰で
剣持くんと三島由紀夫
◎北村薫

今回の記事のなかで、いちばん強く印象に残ったのが、これでした。
北村先生、今回は吉村昭さんの『蟹の縦ばい』(旺文社文庫)から、あるエピソードを引きます。ここでのエピソードが、なんとも身につまされたというか(けっして、わたしに同じような失敗談があるわけではないのですが、いや、あるか?)、とにかく強く印象に残り、いっそのこと原文にあたってしまえ、と考えてしまいました。

失礼な言い方ながら、「手練れ」の北村先生によるエッセイは、出典の『蟹の縦ばい』を再構成しているのではないかと推察しました。「ユーカリの木の陰で」に紹介されたエピソードは、まるで上手な落語家の口演を聞くようです。いざ、自分でここにまとめようとすると、前後のつながり等、うまくいかなくなってしまうのです。

旺文社文庫版は手に入りませんでしたので、中公文庫版『蟹の縦ばい』に目をとおしてみました。いやあ、この時代の作家による雑文は面白い。中学生の頃から、この手の雑文が自分は好きだったんだと、あらためて思い知らされました。昔から文芸誌のページでは、王道の小説や評論よりも、この手の文章を好んで読んでいました。ところで、これは「エッセイ」というジャンルなんでしょうか。

ここからが本題です。
エピソードというのは、吉村昭さんが学習院大学時代に同人誌仲間の剣持という友人に誘われて、三島由紀夫宅へ訪問したときのことです。「玄関の履き物入れの上には「愛の渇き」の構成ゲラが置かれていた」とありますから、昭和20年代中ごろのようです。

この剣持なる友人は行動的な人物だったようで、吉村さんを誘って劇作家木下順二さんを訪ねたこともあったそうです。三島由紀夫さんは、「不快な顔もせず、ビール」まで出されました。二度目の訪問では「「仮面の告白」に署名をして一人一人に渡して下さった」といいます。

P266
 社会常識に欠けた行為だったのだが、さすがに作家の自宅を訪問する無礼に気づいて、その後私は木下氏のアパートにも三島氏の家にも足を向けることはしなかった。」

ところが剣持くんは、そうではありませんでした。

P271
 (私たちの来訪を不快がる風もなかったので、)剣持は、それに気をよくして、大胆にも詩を(私たちの同人誌である)「赤絵」にのせて欲しいと氏に申込んだ。思いがけず氏の承諾を得て、剣持が受け取りに行き、三篇の詩を(同人誌の)編集部に持ってきた。
「五篇あったがね、その中でこれならと思うもの三編をいただいた」 と、かれは報告した。
 私たちは、唖然とし頭をかかえた。学生の雑誌に詩の掲載を承諾してくれたことは氏の好意であるのに、詩を選択して持ち帰った剣持の行為は非礼だと思ったのだ。

これらの内容は『蟹の縦ばい』(中公文庫)P266P272に載っていました。

さて、このはなしが北村薫先生にかかると、どのようになるか。

雑誌『本の雑誌』(2022年9月号)P39
●ユーカリの木の陰で
剣持くんと三島由紀夫
◎北村薫

P39
 学生と社会常識とは、かなり遠いものだったりする。そういう例は、いろいろ耳にする。
 大学の講演会の講師を依頼され、前途ある学生さんのためなら、無理をしても――と受けたら、
 ――いやー、助かりました。ナントカ先生に頼んだら断られたんで、困ってました。
 と、本命ではないと堂々といわれたり、あるいは、講演前の打ち合わせで、
 ――今年は、ろくな作品が出ませんでしたね。
 と一年を回顧され、自分の本も出ているんだが......と歯ぎしりした、などというのも聞いた。
 そういう我々も半世紀前には、さまざまな若気の至りを重ねて来たわけだが、さらに前の《学生さん》にも、無論、武勇伝がある。
 吉村昭の『蟹の縦ばい』(旺文社文庫)を読んでいたら、あっと驚く話が出ていた。
 吉村は、学習院大学文芸部の機関誌とかかわりをもつことになった。同人の剣持なる学生と上野の国立美術館で赤絵の陶器を見、誌名を『赤絵』と決めた。
 だが、創刊号を出してから、三島由紀夫が学生時代、同じ誌名の同人誌を出していたと分かった。剣持はおそれを知らぬ男で、単身、三島のもとに赴き、諒解を得て来た。
 その後、同人仲間は剣持に誘われ、三島を訪問した。

 氏は不快な顔もせず、ビールをすすめて下さったり、ラディゲの話をして下さったそして、たしか二度目におたずねした時、「仮面の告白」に署名をして一人々々に渡して下さった。

 あまりの厚遇である。吉村は、作家の自宅訪問は無礼と気づき、以降は足を向けなくなった。
 文芸部には社会常識を知らない学生がいた。『赤絵』を二百部ほど郵便局に持ち込み、数が多いのだから郵送料を割り引きにしろとねばった者もいたぐらいだ。
 しかし、剣持は、それどころではなかった。まず三島に、自分たちの同人誌に、詩を書いてくれと頼んだ。意外にも、三島はこれを承諾した。
 剣持が受け取りに行った。そして、三篇を持って来た。
 ――本当に三島由紀夫の詩だ!
 と興奮するところだが、剣持の言葉を聞いて、みな絶句した。

「五篇あったがね、その中でこれならと思うもの三篇をいただいた」

 二つをボツにして来たのだ。それが、無礼であると、気づきもしない。三島は、はたして、どんな顔をしたのだろう。

原典『蟹の縦ばい』では、郵便局で値切った学生のはなしは、剣持くんが詩を持ち帰った事件のあとに出てきます。やっぱり、前後を入れ替えたりしていました。さらに、だいぶ言葉を補ってもいました。

最後の一行「二つをボツにして来たのだ。それが、無礼であると、気づきもしない。三島は、はたして、どんな顔をしたのだろう。」が効いています。これがあるか、ないかでぜんぜん効果が違ってきます。

剣持くんを評した言葉
・盲蛇をおじず
・おそれを知らぬ男

悪気がなければ、どこまでが許されるのか? 学生ならいいのか? 限度があります。


今回の「ユーカリの木の陰で」では、出だしから「おやっ? と」思いました。

学生と社会常識とは、かなり遠いものだったりする。

「~だったりする」という言い回しは、かなり以前に流行りました。軽佻浮薄なDJのしゃべりみたいです。すくなくとも、北村薫さんには似つかわしくありません。

剣持くんの武勇伝、あっと驚く話でした。

 ◆  ◆

特集「本を直す!」については、申し分ありません。

何十年も前のこと、県立図書館で開かれた実技研修会を思い出しました。各自、直したい本を持ち寄れとあって、「絵本」を選びました。自分で補修した絵本は、どこにしまい込んだのか、例によって記憶にありません。

特集記事では、服部文祥・植村愛音(ヨンネ)さんによる、「本のサバイバルに挑戦!」が秀逸でした。

P12
中目黒の古本屋でワゴンに積んであったというナンセンの『極北(フラム号探検記)』の英語版の再初期型。日本に何冊現存するかわからない超希少本。二冊からなるその洋書は、一冊50円、二冊で100円だったといいます。
自宅の「本棚最上段に、神仏のごとく」並べて置いたところ、東日本大震災で落下、2巻目の背表紙が割れてしまったとのこと。それを修復したのだそうです。

『FARTHEST NORTH 1893-1896.』by DR.FRIDTJOF NANSEN(1897年刊)

 ◆  ◆

P28
カバ欠本を完成形にする方法! ●北原尚彦 を次に興味深く読みました。古本カバーをスキャニングしたものの判型を変更することで、新刊文庫本が古書に早変わりとか、いいですね。

 ◆  ◆

P50
新刊めったくたガイド
高遠佐和子

小田嶋隆『東京四次元紀行』(イースト・プレス1500円)
(前略)これが著者にとって、最初でおそらく最後の小説になってしまった。もっともっと、読ませてもらいたかった。

「最初でおそらく最後の小説」、かっこいいです、高遠さん。亡くなるには早すぎます、小田嶋隆さん。

 ◆  ◆

P94
文芸記者列伝(7)――渡辺均(大阪毎日新聞)
最後まで取り乱さない人
=川口則弘

大阪毎日新聞学芸部、薄田(すすきだ)淳介の号が「泣菫」(きゅうきん)だったとあります。しかも、「社員として発揮した手腕は、試作以上に鋭かった」とも。

日本近代文学館から復刻版で詩集『白羊宮』が出ています。蒲原有明と薄田泣菫のふたりの文語詩は好きでした。

ロマン派の影響を受けた詩人の薄田泣菫が、やり手の学芸部の社員だったことに驚きました。

P94
若手の力も欲しいと考えて、新聞連載をしたことのない作家に、思い切って声をかけた。こうして生まれたのが芥川龍之介「戯作三昧」(大正六年)である。
(途中略)
「忠直卿行状記」(大正七年)「恩讐の彼方に」(大正八年)など、文芸物で注目された菊池寛に、うちで小説を連載してみないかと勧めたのも薄田だった。俄然とやる気になった菊池は「真珠夫人」(大正九年)を執筆する。菊池はたちまち金の稼げる文士となった。大衆受けする彼の作風に目をつけた薄田の手柄でもあった。

詩人としての泣菫とはイメージが違います。

 ◆  ◆

P104
連続的SF話(460)
最後の本
●鏡明

最後の作品が三冊。として、それぞれを紹介しています。

(1)小林信彦「本音を申せば」の16巻目とあるばかりで、かんじんの書名『日本橋に生まれて』の文字がどこにも書かれていません。しかも、大滝詠一と小林信彦の関係を知らないのかな。

前半が「奔流の中での出会い」で、過去に出会った喜劇人や映画人の思い出。植木等や渥美清の話は当然だと思うのだが、大滝詠一も出てくる。

って、なんでしょ? 小林信彦さんにとっては、この三人を並記して「当然」くらいの気持ちじゃないでしょうか。鏡明さんと大滝詠一さんの生まれは一緒です。「大滝詠一も出てくる」は、なんでしょう?

(2)青木正美『昭和の古本屋を生きる』
名店「青木書店」を開いた青木正美さんです。何をか言わんや。

またまた年齢について。青木正美さんと小林信彦さんは一つ違い。

四十冊以上の著書があるこの著者の最後の本。ご本人がそう書いている。あ、これは買わなければ、そう思った。青木正美の本を新刊で買ったのは初めて。なぜ買ったのか。最後の本というのにひかれたんです。

(3)井波律子『ラスト・ワルツ』

 最後の本を三冊としたけれども、連載の完結編、たぶん最後の本になると著者が記している本。三冊目は著者の死語にまとめられたもの。

著者は中国文学の人だと思っていたのだが、「ラスト・ワルツ」? ちょっとページをめくってみたら、ザ・バンドの熱烈なファンであると書いてある。この著者の中国文学者はけっこう読んでいたのだが、ザ・バンドのファンだとは知らなかった。
(途中略)
何となくビートルズとかボブ・ディランが好きという気がしていたのだが、ザ・バンドか。ローリング・ストーンズが少し触れられているだけで、他のロックバンドのことは出てこない。ザ・バンドとストーンズ。やけに男っぽい好みだ。
 素晴らしかったのが、編者あとがき。夫の井波陵一の手によるもので、心がこもっている。「レベルの高い研究者ではなく、腕のいいライターを到達目標にしている」と言っていたというのは他人には書けない。良いなと思う。

 ◆  ◆

P128
読み物作家ガイド
融通無碍の「最後の文士」
●石川淳の10冊
=岸本洋和

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【石川淳の10冊】
鷹/講談社文芸文庫
紫苑物語/講談社文芸文庫
普賢・佳人/講談社文芸文庫
焼跡のイエス・善財/講談社文芸文庫
狂風記/集英社文庫
六道遊行/集英社文庫
安吾のいる風景・敗荷落日/講談社文芸文庫
文學大概/中公文庫
森鴎外/岩波文庫
澁澤龍彦編 石川淳随筆集/平凡社ライブラリー

 ◆  ◆

P132
今月書いた人

●V林田
 秩父にある「哀愁のふるさと館」に行きました。50年にわたり民家模型を作り続けるだけの生活をしている館長による狂気のような出来の民家模型が見られて凄いので皆行ってほしい。

ネット検索をしてみました。たしかに「哀愁のふるさと館」はすごそうです。実物を見ないと、実感がわかないのかもしれません。「50年にわたり民家模型を作り続けるだけの生活をしている館長」って、生活費はいったいどうしているのでしょうか。50年間、模型を作り続けている......。霞を食べる仙人でもない限り、どういう生活をおくっていらっしゃるのか、気になりました。

気になったついで

●北村薫
 先月、雹のことを書いたが、その被害について。雨樋の三箇所に穴があき、自転車置き場の屋根が悲惨な状態に。とほほ。

お車はどうだったでしょうか。我が家はディーラーに査定してもらったところ、雹被害のため、引き取り額が半額になってしまいますと言われました。頑丈な屋根の下だったら良かったのに。