ジジイの片づけ 沢野ひとし 集英社 2020年10月10日 第1刷発行 173頁 |
書評誌『本の雑誌』で、1976年創刊時から表紙と本文イラストを担当する沢野ひとしさんのエッセイ集です。年齢を重ねるにしたがい増加の一途をたどる「モノ」とどう付き合えばいいのか。沢野さんの考え方はなんともシンプルなものでした。
正直言って、驚きました。椎名誠さんの書いてきた沢野ひとし像と、ここで描かれている自画像の、あまりにかけ離れていたことにびっくりでした。あるいは雑誌『本の雑誌』のコラム等での沢野ひとし像でも、おなじです。
アルコールを断つために医師から処方された服薬をどうしたなどと書いていたのは、つい数年前のことだったような。これまでの沢野ひとし像といったら......。群ようこさんデビュー2作目『別人「群ようこ」のできるまで』に登場したのも、約束や締め切りの守れない、迷惑ばかりかけている沢野ひとしさんだったはずです。
それが、颯爽とした実にさわやかなイメージなのです。少なくとも本書『ジジイの片づけ』では。
毎朝5時に起床して、片づけに専念している。酒どころか、「中国」に凝ってからはお茶の飲料が増えました。今は、それさえも最近では白湯ばかりなんだそうです。いったいどうなっておるのか?
もともと掃除好き、きれい好きなところはあったようです。衣類についても、母親の職業が洋服のデザイナーだったというし、昔からおしゃれだったとも。本書でも衣類の指南があります。
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本書のしょっぱなで、まず驚いたのが「風水」に触れたところでした。
P14
「毎日同じことを習慣づける――朝の10分間片づけ朝の10分間片づけを習慣にすると、部屋の中にはジワジワと良い気が流れてくるようにゆったりとしてくる。(以下略)
P22
「人生に不安を感じたら窓を拭く」春夏秋天「起きたら窓を全開」を肝に銘じる。中国から伝来した「風水」ではないが、自然界のエネルギーを活用して、懸鼓を培い、疲れやストレスを吹き飛ばす伝承学である。
窓を開けて新たな気を入れると、今まで淀んでいた空気をまるごと総取り替えすることにより、身も心もすっきりしてくる。(途中略)
「眠れない、疲れが取れない」と口癖のようにつぶやいているジジイがいたが、いろいろ環境を聞いてみると、原因は家の中に気がとどこおっていることにあった。窓を全開にしたら、あら不思議、すっといつの間にか不安が消えてしまったという。
高層のタワーマンションに住む人は窓を開くことはできないかも知れないが、外の気を取り入れることはできるはずだ。(以下略)
あの沢野さんの口から、「風水」などという言葉が出てくるとは、まったく思いもかけませんでした。 「外の気を取り入れる」ってなんでしょう? 椎名誠とその一味にとって、もっとも縁遠そうなのが「風水」じゃないでしょうか。がしがし、わしわし、飯を食う。ソースはだぼだぼ。焚火の周りで大騒ぎ。飲めや歌えや大宴会。そんなイメージだったのに、ギャップが大きすぎて、はじめは理解できませんでした。ひとりになると、飲み屋の片隅で「ミホコさん」とか、つぶやいていたのは、大嘘だったとは思えないんですけど。
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P78
「洋服タンスの定期点検」会社勤めの役目を終えると、冠婚葬祭の時ぐらいしかネクタイを締めなくなる。となるとネクタイをしなくても様になる着こなしの上衣やシャツを選ばなくてはならない。
木綿の生地が強いオックスフォード地のボタンダウンの白、ピンク、青のシャツをユニクロか無印良品ででも二枚ほど買い、タンスの上段に収めよう。洗いざらしの綿のシャツは一年中着られるし、紺のブレザーにお似合いである。綿の無地シャツは行動的にも見える。決して黒色、灰色、茶色といった「土色系」のシャツを着てはいけない。
白やピンクの綿のシャツは若々しく清潔感がある。「オレはもう老人だから」といって土色のシャツを身にまとうと、ますます憔悴した老人顔に拍車がかかる。
基本は「こざっぱり」な服装が一番で、(途中略) 時折見かけるのは、釣りやバードウォッチングの時に便利なポケットがやたら多いベストを年中愛用しているジジイだが、それも時と場所を選ぶものだ。いつもハイキングに行くような服を着ていると、生活にめりはりがなくなり、最後には訳がわからなくなって寝間着かジャージ姿で街を徘徊しださないとも限らない。(途中略)かくして、タンスは人生の鏡である。
タンスの中を片づけると、服は半分や四分の一にまで減らせるものだ。下着の上下、靴下、ハンカチ類、シャツ、セーターは四季に合わせすべての品物は四枚が限界と思えば、服の氾濫や土砂崩れは起きないはずだ。
木綿の生地が強いオックスフォード地のボタンダウンの白、ピンク、青のシャツをユニクロか無印良品で二枚ほど買(う)。決して黒色、灰色、茶色といった「土色系」のシャツを着てはいけない。(土色では)ますます憔悴した老人顔に拍車がかかる。
ポケットがやたらと多いベストを年中愛用していては、生活にめりはりがなくなり、最後には訳がわからなくなって寝間着かジャージ姿で街を徘徊しださないとも限らない。
そのどれもが名言。文章は面白くて、玄人の域だし。
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P170
「あとがき」二十数年前、杉並の谷川俊太郎邸で入り乱れて酒盛りをしていた。谷川さんは佐野洋子と結婚して、ほんのりとした空気で幸せな時代であった。
私は児童書出版社に勤めていた二十代の頃から佐野さんとは知り合いで、その後「あんたも絵を描きな」と言われ、イラストレーターになり、佐野さんに『本の雑誌』を紹介して、彼女は作家としてデビューした。
おたがいの家が近く、多摩の佐野邸に車で大型の掃除機を運び込み、部屋の片づけや窓拭きをよく手伝ったりしていた。夜は決まってスキ焼きを食べ、言いたいことを言って帰宅した。
二人が結婚したので、そのまま私も移動して谷川宅の掃除や障子の張り替えに汗をかいていた。その時、偶然に遊びに来た茨木のり子さんに「サワノさん、うちもお願い」と言われた。月日がたち佐野洋子さんが亡くなり、やがて息子の広瀬弦君と会うようになった。(途中下略)
佐野洋子、谷川俊太郎、広瀬弦と知り合い、学んだことは「暮らし方」であった。三人共に「モノに執着しない」ところが見事である。谷川俊太郎さんにこの本の推薦文を単刀直入にお願いした時、「いいですよ」と短いひとことが返ってきた。その時、雑巾を手に働いたことがここに実った。
谷川宅はあきれるくらい本が少ない家で、間取りの多い部屋はどこもガランと静寂に包まれている。広いリビングには海外から購入した趣味のラジオコレクションが、画廊の陳列のように並んでいた。
そのコレクションも、思うことがあってか、京都のある大学にすべて寄贈して今はないのだという。
詩人は満足そうである。
沢野ひとしさんが谷川俊太郎さんと親交を結ぶ接点となったのは、佐野洋子さんだったのですね。そうか、そうか。
その時、雑巾を手に働いたことがここに実った。いいなあ、沢野さんらしい文章だ。あの茨木のり子に「サワノさん、うちもお願い」と頼まれてしまう沢野ひとし。まめで甲斐甲斐しい人物像が伝わってきます。シーナが書いていたイメージと比べ、あまりにも大きな違いからくる違和感はいまだにふっきれませんが、これもまた沢野さんの姿だったんですね、と思い始めています。奥様からは辛らつなひと言がぼそっと出そうだな。
この「あとがき」が、大好きです。
で、例の帯のコピーにつながるのでした。
沢野さんに教え諭されたのは初めてだ、 ジジイ仲間として胸が熱くなったのも。 谷川俊太郎(詩人) |
谷川俊太郎さんから「ジジイ仲間」って呼ばれるなんてね。まるであとがきの「詩人は満足そうである」と呼応しているみたいです。
ちなみに、「谷川宅はあきれるくらい本が少ない家で」とありましたが、この家はご尊父谷川徹三さんの膨大な哲学書があふれていました。その蔵書を処分して空いた本棚に、ラジオコレクションを並べたのです。真空管式の古いアメリカ製ラジオのコレクションは、アンティーク家具として、すばらしいものでした。
自慢のラジオコレクションを前に、半田ごてを握る谷川俊太郎さんの嬉しそうな写真を見たことがありました。
あのラジオコレクションは、もうないのですね。
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いつもの沢野ひとしさんのエッセイ集のように、ここでも家族のことが多く出てきます。けれども、以前のそれとはちょっと違いがありました。
例の妻や子供たちに感謝のことばがあふれています。それと、(これまで目にしたことのなかった)妻との出会い、妻の両親とその家屋までもが紹介されていました。それらの描き方が、以前とは違うのです。なんだかなあ。
さっき、沢野ひとしさんデビュー作『ワニ目物語』を読み返しました。裏表紙の見返しに購入した日付の書き込みがありました。1983年5月6日。
『さらば国分寺書店のオババ』は処分してしまっても、こちらはなぜか持っていました。『本の雑誌』目次ページに連載している「双子日記」もずっと愛読しています。
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へーえ、と思ったのが、P52「薬箱は整理整頓をしない――整理整頓と片づけの違い――」です。
ただ整理整頓が好きではいけない。薬箱の中がきれいに分類されていても、いざというときに必要なものが見つからなかったり、期限切れの薬だったり。
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本書の口絵モノクロ写真が4ページ。仕事部屋の机の写真は、以前に見たことがありました。雑誌『本の雑誌』で連載物の机の紹介に、出ていました。
本書の写真では、机と、その脇の書棚の並ぶ写真がなかったのですが、ネット上に見つけました。
暮らしとおしゃれの編集室 毎朝10分間片づける ― 沢野ひとしさん Vol.1 『家事のしくみを、整える』2021.10.18 リンク、こちら |
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