国家を考えてみよう/ちくまプリマー新書256 橋本治 筑摩書房 2016年06月10日 初版第1刷発行 204頁 |
先の参院選前に読んで、なんだかすこし得した気分。高校生にだけ読ませておくのではもったいない。
全4章のうち、1~3章が歴史の上での国家について。西洋史と日本史のお勉強を手際よく教えてもらえる。この手際よくというのが、橋本治のキーワードのひとつじゃないかな。それも暗記前提の試験勉強じゃなくて、治ちゃんが自分の頭で考えたことを、「ほうら、見てごらんよ」と、ポンと手際よく見せられたような気分になる。
賢い人にものを教わると、すとんと(腑に落ちたように)わかった気分にしてもらえる(ことがある)。まあ、橋本治という人は、それがひとつの芸の域にまで達していました。
「第四章 国家主義について」から、抜粋2つ。
抜粋その1
P.146
たとえば、いつもインターハイに出場していた高校の名門運動部が、県大会の一時予選で敗退してしまったりします。監督の先生はたぶん、「お前達がだらけてたからだ!」なんて言って怒るのではないでしょうか?
目から鱗の部分がここです。高校生の部活動と国家を重ねるという視点! もちろん部員が国民にあたり、じゃあ監督はだれ? いやあ、スリリングな展開でした。
負けて怒っている監督が言う「お前達が泥を塗った、伝統ある我が部」の「我が部」とは、いったい誰のものかというと、もちろん監督のものではない。
以降の展開は、ひょっとすると屁理屈のように聞こえるかもしれないけれど、民主主義の制度(の誕生した歴史)というものを、あらためて思い起こさせてくれる。
P.150
一例を挙げると、「その部は高校に所属はしても、高校のものではない」が、いつの間にか「その部は高校の理事長のものだ」になってしまうことです。
部と国家を重ねていたので言えば、この理事長とは誰のこと? となる。この項の小題「「代表者」と「指導者」」につながってゆく。
民主主義の国に「政治的な指導者」というものは存在しない。それはただ、「国民に選ばれた代表者」でしかない。
ここからの展開が秀逸だった。
そして、結論。
抜粋その2
P.155
民主主義国家で、「政治って、どこかで関係ない誰かがやってるんでしょ?」というような声が平気で出て来たら、それはもう衆愚政治です。でもそこに、「愚かな国民を指導する指導者」はいりません。国民が「まともな頭」を持つのは、国民個々人の責任で、民主主義の政治は「指導者」を選びません。選ばれるのは「代表者」なのです。
代表者を選び出す「まともな能力」を持つのは、民主主義国では自分の責任で、義務であって、「指導者」を選び出すのは民主主義ではありません。「みんなで選ぶのが民主主義だ」と考えるだけで、なんの疑いもなく「指導者」を選び出してしまうのは、民主主義とは違う体制の政治です。
ハッとさせられるところです。
「みんなで選ぶのが民主主義だ」と考えるだけで、なんの疑いもなく「指導者」を選び出してしまうのは、民主主義とは違う体制の政治です。
じゃあ、民主主義とは違う体制の政治とは?
honto.jp に目次が全部載っていました。リンク、こちら。
こういうページは、じきに無くなってしまうこともあるので、そうならないことを願っています。
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