[NO.1517] 対談 杉浦日向子の江戸塾

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対談 杉浦日向子の江戸塾
杉浦日向子
PHP研究所
1997年09月04日 第1版第1刷発行
1998年05月06日 第1版第7刷発行
219頁

対談なので読みやすい。すらすらページが進んだ。全部で7回の対談。その相手は

1)宮部みゆき・北方謙三
2)北方謙三
3)山崎洋子・田中優子
4)北方謙三
5)宮部みゆき
6)石川英輔
7)高橋義夫

先日、勲章をもらった北方先生が3回も登場している。田中優子先生も、テレ朝「サンデーモーニング」のときとはイメージが全然違う。気さくなやりとりばかり。

どの回も江戸時代の暮らしについて紹介している。今とは違って、江戸時代の庶民はいかに暮らしやすかったか、自由だったか。それと当時の生活様式で、今と比べ、どこが違っていたのか。次から次へと具体的なエピソードが目白押し。まるで落語か講談を聴いているかのよう。

P36
江戸時代には「ウォッカ」があったという。当時はアラキ(今はアラック)と言われるウォッカがロシア回りで入ってきたとか。「北前船の昆布と一緒に積まれて」きたという。北方先生、うれしそう。

P60
「火事と隠居がつくり上げた文化」
隠居は死ぬまで財産管理権を持っていたからお金があった。財をなした商人が隠居してから、小唄、歌舞伎、盆栽、釣りなどの江戸文化をつくり上げたとも言える。。

粋や通の精神はどこから生まれたのか? 杉浦さんいわく、江戸に火事が多かったことが影響していると。「どんな立派なものをつくったって、すぐ焼けちゃうので、宵越しの金は持たないといった精神ができあがった」。

京都がものを残したのに対して、江戸は文化を残した。「火事で燃えなくなってから、本当の江戸っ子がいなくな」った。

P166
はやり病との付き合い方
ヨーロッパでは「病は駆逐するもの」、「あくまでも「闘病」」である。「日本の江戸では、病は「平癒」するものだった」。立っている基盤が違う。こういうときによくいわれる、はたして自然は征服すべきものなのかという考え方と同じだろう。

江戸時代は疱瘡が多かった。人びとは子供の疱瘡が軽くすむように願い、疱瘡神を神棚に祀った。それは「病がきたら機嫌よくお帰りいただくため」であった。「そのためには、礼を尽くす。おもてなしして、命まではとらないでくださいとお願いする」。これはヨーロッパでは考えられないことである。
江戸の人びとが考えていたこと。病は未知の世界からきたメッセージである。何か用があるから訪れているんであって、その用件を聞いてからお帰り願う。用件も聞かずに追い出したら、暴れるのは当たり前だ。

それを聞いて

P167
宮部 やさしくて美しいですね。日本人が久しく忘れていた考え方のような気がします。(略)近代になって、封じ込められたり切り捨てられてしまったものの中に、こういう考え方もあるんでしょうね。

江戸時代は蚤(のみ)や虱(しらみ)などとも「共生」していた。『耳袋』には「蚤一匹でも、なぶり殺しにすれば祟られる」とある。「逆に、小さな虫でも助ければ、地獄に落ちたときに助けてくれる」。現代は「ばい菌は全部シャット・アウト」である。しかし、「無菌室のような状態で暮らすのは、逆に(心が)貧しい」のではないか。