歴史を変えた100冊の本 スコット・クリスチャンソン& コリン・ソルター 著 藤村奈緒美 訳 エクスナレッジ 2019年04月30日 初版第1刷発行 224頁 |
著者の経歴がわかりにくかった。
スコット・クリスチャンソン
ネット検索でAmazonの『図説 世界を変えた100の文書(ドキュメント):易経からウィキリークスまで』「著者について」から出てきたくらい。1947年ニューヨーク生まれ。著述家・ジャーナリスト。法学や刑事裁判、歴史等に関する論文多数。なんだか要領を得ない。
コリン・ソルター
同じくAmazonの『世界で一番美しい植物のミクロ図鑑』「著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)」にあるのは「サイエンス・歴史ライター」のみだった。英文サイトでEdinburgh-based writer(エジンバラを拠点にするライター)。Twitterが見つかる。環境問題あたり。
どうして延々と著者を検索したのかというと、この本の立ち位置がよくわからなかったから。ジャーナリスティックな選び方が感じられた。なにしろ、世界中から100冊を選ぶのだ。「はじめに」で書かれているように、P13「ここで紹介する100冊のうち、50冊については誰も異論はないだろう。残りの50冊については、ほとんど誰もが異論を唱えることと思う」とある。
目次から100冊を書き抜いてみたが、そのなかでわからない書名だけを残して削除した。それでも20冊以上も残った。日本という狭い世界と西洋とのギャップなのだろうか。
03 トーラー
11 建築書 ウィトルウィウス
21 芸術家列伝 ヴァザーリ
26 ミクログラフィア ロバート・フック
33 オトラント城 ホレス・ウォルポール
36 人間の権利 トマス・ペイン
37 女性の権利の擁護 メアリ・ウルストンクラフト
41 点を使って言葉、楽譜、単旋聖歌を書く方法 ルイ・ブライユ
42 マレーの旅行ガイド
43 自然の鉛筆 ウィリアム・ヘンリー・フォックス・トルボット
44 アメリカの奴隷制を生きるーーフレデリック・ダグラス自伝
48 ロジェ・シソーラス類語辞典
51 グレイの解剖学
53 ビートン夫人の家政読本
79 地中海の食べ物の本 エリザベス・デイヴィッド
84 キャットインザハット ドクター・スース
85 崩れゆく絆 チヌア・アチェベ
89 新しい女性の創造 ベティ・フリーダン
92 歌え、跳べない鳥たちよ マヤ・アンジェロウ
93 イメージーー視覚とメディア ジョン・バージャー
94 禅とオートバイ修理技術 ロバート・M・パーシング
97 マウス アート・スピーゲルマン
100 これがすべてを変えるーー資本主義VS. 気候変動 ナオミ・クライン
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本書は読む本というよりも、眺める(見つめる)本だろう。いうなれば写真集といったところ。とにかく美しい。用紙も厚く、カラー写真が目を引く。
見開きで1冊の本を扱い、左ページが説明、右ぺが写真という構成で、併せて小さめの写真が収められている。もちろん、そのどれもがめをうばうばかり。本好きにとって、たまらない。
100冊の中で、『易経』がもっとも古く、紀元前2800年頃とあるが、大判写真は紀元12世紀のもの。次に古い『ギルガメシュ叙事詩』は粘土を焼いた板なので、紀元前2000~1500年のもとと説明にある。『イーリアスとオデュッセイアー』で、紀元900年頃。『イーリアス』を完全な形で伝える最古の写本だそうだ。
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気になったのが、英語版を紹介していることの多さ。上記『イーリアスとオデュッセイアー』でもそうなのだが、初めて英語で出版されたホメーロス作品の表題紙という写真が紹介されている。ほかにも、このように「初めて英語で出版された」版の書影を紹介しているケースが多い。
孫子の『兵法』にいたっては1910年の初版刊行以来、現在も版を重ねているとして、「英語版」が大きく掲載されている。小さな写真で取り上げられているのは紀元前206年から220年という竹簡(銀雀山漢簡)なのだがそれも巻いてある状態のまま。せめて、少しでもページを紹介して欲しかった。プラトン『国家』は、さすがに大判での紹介として紀元9世紀の最古の完全な写本の標題紙なのだが、もう1葉の写真はグラスゴーで1763年に最初に出版されたという英語版なのだ。こちらとしては、せめてラテン語あたりが羊皮紙に書かれた革張り装幀の洋書とかを見たかったなあ。カフカの『審判』でさえ、大判写真は1965年のペンギンクラシックス(ペーパーバック版)で、小さな写真の方が「最初の英語版」1937年ニューヨークのアルフレッド・A・クノップフ社刊のもの。1925年の独語版はどうした? わざわざ大きい写真で紹介しているのが、なぜ、ペンギンブックの書影なんだ?
それでふと気がついたのだが、フランスものがごっそり抜けているような気がする。ボーヴォワール『第二の性』があって、サルトルは入っていない。カミュの『異邦人』もない。意図的なのだろうか。特に戦後の日本文学では仏文からの影響が大きかった。それになじんでいると、どうしても違和感が残った。英米人にとっては、こういうものなのだろうか。
【追記】
『ハリー・ポッターと賢者の石』の表紙に珍しさを感じた。日本の本とはだいぶ違う。なんだか映画版「タンタンの冒険」みたい。
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