[NO.1502] イメージを読む/美術史入門

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イメージを読む/美術史入門/ちくまプリマーブックス69
若桑みどり
筑摩書房
1993年01月10日 第1刷発行
1993年11月30日 第6刷発行
208頁

テーマは美術史入門なのに、どうしてタイトルが「イメージを読む」なのか。理由がP9冒頭に書かれている。(詳しくは下記に)

本書の成り立ちは、①北海道大学で1991年に一般学生対象の集中講義5日間 ②NHK文化センターで1992年の講義ノートをもとにしている。この当時、著者若桑みどりさんは千葉大学教養部で専門外の一般学生向けに美術史を講義していた。

この本が読みやすいのは、そうした経緯が大きく手伝っている。まるで講義を聞いているような気分になれた。

合間にきちんと基本図書を紹介してくれている。

目次

はじめに
講義にあたって
第一日 ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について
第二日 レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について
第三日 デューラーの「メレンコリア1」について
最終日 ジョルジョーネの「テンペスタ(嵐)」あるいは「絵画の謎」について
あとがき
図版リスト
参考書一覧

4日間を一日一枚の絵画を使った講義内容(本書ではそれぞれが章立て)になる。それぞれテーマも異なる。どうしてこの4つを選んだのかというところが、著者若桑みどりさんの腕の見せどころ。

P8
最初に概論。研究対象は広く、「人間がつくってきた、「かたち」のある文化全部である。アルタミラ洞窟壁画からギリシャ神殿、ピカソの絵まで。絵画、彫刻、建築、工芸。」

この先の説明が面白かった。「さらにそれらの芸術作品がおかれたり、使用されたりしている場所のぜんぶ、たとえば、室内、教会、広場、都市、庭園などすべて研究の対象」となる。

こんなことは考えたこともなかった。したがって、他の学問分野との結びつきが必要となる。文化人類学、考古学、歴史学、宗教学、神話学、文献学などなど。

ここで「学際学」なんて言葉が出てきて、この本が出版された年代を見直してしまった。「脱構築」などという単語のころだった。

著者若桑みどりさんの考える美術史の面白いところは、その次の部分にある。「それでは、そういうもろもろの学問を結びつければ美術史になるかというとそれは違」う。「美術史が」それらの「学問とちがうところ、つまりまさに美術史固有の特質といえるものはいったい何か」、「それは、美術史の最初で最後の研究対象がイメージであるということ」である。

非言語的な「表現」すべてが対象であるという考えは斬新だった。

イメージを解釈するため、一九世紀後半から二〇世紀のはじめにかけて、三つの方法論が出てきた。

1)様式論
2)図像学(イコノグラフィー)
3)図像解釈学(イコノロジー)

さらに、心理学、記号論や構造主義的な思考法、社会学的な視野などを必要におうじて加える。

◆ ◆

第一日 ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画について

P24
(わざわざ)お金と時間を使ってローマに行くのはなんのためか。
やっぱりなによりも楽しくて美しいものを見るため。きれいなまちで、きれいなものを見るため。
芸術とはまずなによりもきれいな楽しいもの。
人類が快適な生活のために作りだした美しい環境のすべてを芸術という。

P27
「壮大とか偉大とか英雄的」の「本当の意味をしりたければ、ここにたつのがいちばん」
「日本人は、やさしくこぶりなものになれているので、よけい圧倒され」る
→「ミケランジェロのシスティーナ礼拝堂の天井画」の説明

P28
芸術を理解するには、その芸術が生み出された思想や時代を理解しなければならない。これはとてもはっきりしたことなのですが、忘れられがちです。芸術は感覚でつくられ、感覚で理解される感性の文化だと思う誤解がゆきわたっているからです。

ここで著者若桑みどりさんのいう「誤解」について、本書の終わりころに視点を変えて、丁寧に書いている。

P196
(こういった講義へときどきされる反論に)「画家はそんなにむずかしいことを考えて描いたのじゃない。かりにそうだったとしても、絵を理解するのには、ただきれいだ、好きだだけでたくさんだ。」がある。

若桑みどりさんの回答は簡潔だ。「少なくとも、ある時期までは、画家は思想を伝えるためにのみ描いていた」「ある時代までは、絵画は、重要な意味のメディアだった」。

それでは、「いつごろから、絵画はただ目に見えるだけのものになった」のか。

「だいたい一八世紀ごろから」「目に見えたものを描写することが多くなり」、「一九世紀には「ただの」森や、「ただの」りんごが描かれることが多くな」る。

第二日 レオナルド・ダ・ヴィンチの「モナ・リザ」について

山村修『〈狐〉が選んだ入門書』でも指摘していたように、いきなり出だしで「まず、結論をいっておくと、レオナルド・ダ・ヴィンチは無神論者です。」というのはインパクトがあった。

当時はすべてが「神の名」においてなされていたのだから。すべてとは、科学も政治も道徳も。戦争や金もうけさえもが「神の名」においておこなわれていた。

そりゃあ、ばれたら首をはねられるわな。

それを具体的に表現したのが名画「モナ・リザ」である。若桑みどりさん、つかみがうまい。

「レオナルド・ダ・ヴィンチが「モナ・リザ」に隠した謎とは、ひとくちにいってしまえば神のいない宇宙観で」ある。

「神のいない宇宙観」をいいかえると「科学的宇宙観」になる。

P66
林達夫の名が出てきて驚く。理由は後述。
レオナルドがヴェッロッキョに弟子入りした当時の教育体制の問題として、工房とアカデミーの二つの考え方があるというところ。

アンドレ・シャステル『ルネサンスの大工房』(新潮社)を林達夫は感激して読んだのだという。「芸術が大工房で作られていたということが、ルネサンスの芸術の質の高さ、普遍的な性格の原因だと考えて、大工房ということばを聞くと興奮してい」たとも。ちょっと軽すぎないか? 林達夫、と思ってしまう。

P67
「クラシックとは本来、時代がかわってもゆるがない価値をもったものに使」う
「美術史の上では、クラシックとは、ある文化が、そのもっとも完璧な様式を完成した時代に実現した特質をい」う

なるほど、音楽でいう「クラシック(音楽)」の使い方が、しっくりくるな。でも、ここでいう「本来」って、なんだ?

P76
「最後の晩餐の主題」が特にわかりやすかった。他に比較しているジョット、ギルランダイヨの最後の晩餐にくらべ、レオナルドの最後の晩餐のほうが格段にいいことがわかる。主題提示のためにレオナルドがおこなった工夫を具体的にひとつずつ説明している。

P109
「芸術とは何かという考えを伝えるのは、ことばではなく作品そのもの」
「思想をことばではなく作品で示す思想家のことを芸術家というのだと私はおもっています」

つまり、芸術家というのは思想を作品で示しているのだ。TVのインタビューで耳にするアーチストが作品で示している思想というのはなんだ?

P103
「聖アンナ」胎盤の話

前述の「林達夫」と「レオナルド・ダ・ヴィンチ」の関係について。

レオナルド・ダ・ヴィンチの描いた絵「聖アンナ」(「聖アンナ母子像」)の足元に見えるという胎盤の話。きっかけは『共産主義的人間』(林達夫著、中公文庫)に庄司薫が書いた「解説――特に若い読者のために」だった。その中に、「林さんの『精神史』、あのレオナルドの『聖アンナ』の足元にころがっている「もつ」のようなもの」とあったのだ。

この解説は庄司薫らしい、園山俊二のマンガ『ギャートルズ』からはじまる「名人伝」(中島敦)の逸話から、一気に林達夫『精神史』へと飛躍する。出典は『林達夫著作集1 芸術へのチチェローネ』(平凡社)にある「精神史」サブタイトル「一つの方法序説」。初出は『岩波講座哲学4 歴史の哲学』(岩波書店 一九六九年九月)。『赤頭巾ちゃん気をつけて』を庄司薫が雑誌中央公論に発表したのが1969年5月号だった。

前置きが長くなったが、この話題が本書でも当然のごとく紹介されている。

P103
アンドレ・シャステルの友人が、聖アンナの両足のあいだに赤い石がひとつあるが、これには小さな紐(ひも)がくっついていて血がこびりついている、つまりこれは胎盤(たいばん)であるといいだしました。それで人びとが騒然(そうぜん)としまして、よく見るとアンナの足のあいだの赤い石は胎盤(たいばん)だということが仮説となりました。

なるほど、「仮説」なのですね。著者若桑みどりさんのお弟子さんは、現地へ行って、あまりにも近くで見ようとして注意されたというオチが紹介されている。

14年くらい前にこの「てんやわんや」したという話を読み、自分でもすっかり引き込まれてしまった。「精神史」も読んだ。もちろん、「聖アンナ母子像」もじっくり見。当時は今よりも公開された画像数が少なく、ルーブル美術館のサイトで見られるものが画質のいい方だった。

あらためて今、検索してみると、多数ヒットする。Wikiで公開されている画像が鮮明に拡大できた。いい時代だ。

第三日 デューラーの「メレンコリア1」について

前述の山村修著『〈狐〉が選んだ入門書』で紹介していた「髑髏」(著者若桑みどりさんの書くところの「ガイコツ」)の話が興味深い。もっとも、本書での扱いは「おまけ」のように付け足したエピソードのようだったが。

むしろ、デューラーが生まれたドイツという地域から見たイタリアについてのとらえかたのほうが興味深かった。

アルプスに隔てられた北部にとって、ラテン世界、イタリアの意味する世界という指摘が新鮮だった。ギリシア・ラテン文明、ローマン・カソリックの壮大な形而上学的世界。北側の人々が憧れを抱くのは当然のことだった。その代表がゲーテ。『イタリア紀行』の位置づけがそこにある。「アルプスをこえて南に行くということは、空間を移動することではなく、文明の源へ帰ること、つまり時間をさかのぼることに等しかった。」

そこで話は西洋におけるイタリアの位置づけに飛びます。この脱線が楽しい。

かつて、イギリスの貴族の子弟が「グランドツアー」なるイタリア旅行をしたというのも、関連があるのでしょう。

具体的には本書では書いてないけれど、フランスの「アカデミーが、いちばんできる学生にあたえる賞金あるいは称号を、プリ・ド・ローム(ローマ賞)といい」、「アメリカでもいちばんできる学生はローマに留学するのは今でも変わらない」という。

ほかにも、「フィレンツェにはいまも、二八から三〇にもおよぶ西欧諸国の大学の研究所や美術研究所があ」り、「このうちもっともすぐれて」いるのが「ドイツ研究所」である。このことからも「南北の関係をよく示してい」る。

P134
『ルネサンスと宗教改革』(トレルチ著、岩波文庫)
カソリックとルネサンス文明は結びついていたので、ルターが一六世紀にカソリック協会を拒否したことで、ゲルマン世界はルネサンスをしめだしてしまった。これがドイツ文化にあたえた影響ははかりしれない。

P145
「歴史とは過去を正しく理解することで、現在の価値の基準で裁くことではない」

一八世紀以降、合理主義や科学的世界観の発展とともに、かつて力をもっていた思想を排斥してしまった。だから、そのような哲学を基本にした絵画やその他の芸術も、正当な的な研究に値しないものとして退けてしまった結果、だれもそれを理解できないまま放置してしまった。数千年にわたって人類の世界観、宇宙観の基本となっていた哲学は、たとえ科学的真理がそれを否定したとしても、その価値を減らしたわけではない。

[参考書一覧]が親切。