[NO.1499] 〈狐〉が選んだ入門書

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〈狐〉が選んだ入門書/ちくま新書607
山村修
筑摩書房
2006年07月10日 第1刷発行
231頁
再読

この本は今回で4回も読んだことになるのに、こうしてまとめるのは初めて。NO.1498 それでも読書はやめられない  に出てきたので、あらためて読み直してみた。

なるほど、山村さんがいうところの「入門書」の定義が独特だった。ここでいう「入門書」とは、ある分野における解説書(「手引書」と山村さんは呼んでいた)のことではない。冒頭「はじめに」に詳しく書かれている。概略を初心者が学習するための「補助としてあるのではなく」、「むしろそれ自体、一個の作品である」ものを指すのだという。「作品」だそうです。「究極の読み物」ともいっています。そういう視点で選定した15冊が5つの章立てで並んでいる。

巻末に「書目一覧」が載っている。これがいい。リストを眺めていて楽しかった。とても入門書とは思えないものもある気がするけれど。

 ◆ ◆

【おやっと思ったところ】

■武藤康史『国語辞典の名語釈』

P018
原節子の「んんん」

『三省堂国語辞典』(第三版以降)の最後の項が「んんん」であることをめぐる一節はすこぶる可笑しく、私は忘れられないほどの感銘をうけました。

(語釈の2つ目について)
②〈〔女〕〔二番めの音(オン)を下げ、または上げて〕打ち消しの気持ちをあらわす。ううん。〉(第五版)

これに武藤さんがとくに胸を打たれ、映画『麦秋』の終わり近く、原節子が日本柳寛との結婚を決意したあと、淡島千景と話をする場面を例に挙げている、そのことを〈狐〉こと山村修さんが延々と引用しているのだ。存分にお二人とも愉しんでいる。

原節子と淡島千景のやりとりを孫引きすると

P018
「ねえ、ほら、......いつか、お宅の省二さん、まだスマトラ行く前、みんなで城ヶ島へ行ったことあったでしょ」
「うん」
「あのときの人?」
「いっしょだったかしらん、あのとき」
「あの自分から好きだったの?」
というやりとりのあと、原節子ははっきり「んんん」と言っている。
「んんん、あのときは好きでも嫌いでもなかったわ」

武藤さんの説明は、このあと具体的な分析が続く。

「ん(低)・ん(高)・ん(低)・ん(高)」のようでもある。そうだ、私の女性体験を総動員して思いめぐらしてみても、(高)(低)(高)と発音される(以下省略)

延々続くのだ。もちろん、山村さんも自分で小津安二郎監督『麦秋』を見直す。それも何度も。

『三省堂国語辞典』編集主幹だった見坊豪紀は十年以上をかけ、やっと三つの雑誌から「んんん」の用例を見つけたという。それをさらに小津映画で原節子の発音する「んんん」で検証している武藤康史を面白がっている、山村さん。

山村さんは、全部で七箇所の「んんん」を発見したという。そして武藤さんは「かならずや、読者のだれかがこのように『麦秋』を見直すと思いながら」「書いていたにちがい」ないと続けている。

もちろん、自分でも『麦秋』を見ないわけにはいかなかった。

■菊地康人『敬語』

冒頭のつかみでネタにしているのが橋本治による敬語について。

P022
敬語とは、人と人との距離を確保するためにつかうものである。ときには厭な相手を遠ざけるためのものである。つまり他人が「へんな風に」進入してこないように戸締まりをするための言葉が敬語だ。
敬語とは「距離」だ。

(橋本治)の書いたもののうちで、山村はその指摘が一番好きであるという。そこで、橋本治の書いた敬語について読んでみたくなったのに、それがどこに書いてあるのかは記していない。困った。

山村さんの説明も面白い。

P023
敬語が身について、サラリとつかえることのできる人が、必ずしも礼儀正しい人とばかりはいえない。そういう人は他人との距離のとりかたがうまいのです。関係性のつけかたが上手なのです。

「関係性のつけかたが上手」だなんて言い回しは、ビジネス書にでも出てきそう。新鮮だった。
話を元に戻すと、菊地康人の書く敬語も同様に礼儀作法の問題としてではないとらえ方だという。つまり、よくあるハウツーものとは根本的に違うのだ。

■橋本進吉『古代国語の音韻に就いて』

奈良時代、大和地方の人びとがどんな発音で会話をしていたのかを、体系的、根本的に極めた本だという。

万葉仮名のつかわれ方から、その当時の発音を解明していくのだが、それはもともと本居宣長の弟子だった石塚龍麿(たつまろ)によって書きのこされていた。このあたりの関係について、実際に『古代国語の音韻に就いて』を読んでみたくなる。

橋本進吉の五十音図が面白かった。

大野晋が「デカルトの『方法序説』を読んだときの快さを思い出す」といったほど、『古代国語の音韻に就いて』は「話の運び」が「みごとな平明さ」で書かれている。その理由は、もともと一九三七年の神職講習会での講話がもとに書かれているのだ。神職講習会での講話というところが面白い。

■里見弴『文章の話』

一九三七年八月に全十六巻が完結した新潮社「日本少国民文庫」として出版されたのだという。

で、その「日本少国民文庫」で有名な吉野源三郎『君たちはどう生きるか』について。岩波文庫版巻末で丸山真男が「これはまさしく『資本論入門』ではないか――」と書いたことを紹介している。すっかり忘れていた。読み返してしまいましたよ、丸山真男の文章。

■高浜虚子『俳句はかく解しかく味わう』

山村さんは、職場から帰宅するときに「ふと俳句を読みたくなって」、「(書店で)目についた句集などを買ってくることがあ」るという。長期間の仕事が完了したときや思いもよらない人事異動があったとき、特になのだとのこと。どうも、自分にはピンとこない。

気になったのは、紹介している夏目漱石『永日小品』の方。ここに漱石の見た高浜虚子の人物像が描かれているのだ。面白い。永日小品は既読のはずが、すっかり覚えていない。読み返したくなった。

■窪田空穂『現代文の鑑賞と批評』

どのようなきっかけから、この文章に出会ったのか知りたい。単行本や文庫本では読めない。『窪田空穂全集』第十一巻なんて、図書館にでも行かなきゃ読めない。

そうなると、ますます読んでみたくなる。

内容は、昭和の初めに母校早稲田での講義をもとにしているとのこと。かの岩本素白が麻布から同じく早稲田に移って講義を始めたのが1932年。重なるころかな。

■岡田英弘『世界史の誕生――モンゴルの発展と伝統』

『世界史の誕生』によれば、「一二〇六年の春、モンゴルの草原で、多くの遊牧民の代表たちが各自の旗をなびかせつつ、テムジンという首領を自分たちの最高指導者に選挙した日」が、「モンゴル帝国の建国であり、また、世界史の誕生の瞬間でもあった」という。

岡田英弘には『日本史の誕生』もあるとのこと。こっちも気になる。

■内藤湖南『日本文化史研究』

そういえば開高健、矢沢永一、向井敏の3人が強く推奨していたことを思い出す。そのくせ、今まで読んだことがない。

有名なのが「応仁の乱」以前のことは外国の歴史と同じくらいにしか感じられない。だから、「応仁の乱」以後だけを知っていれば、それで日本史は十分だ、というところ。

山村修が「刮目(かつもく)してよい説」「まことにブリリアントな文化史観」とまで呼んでいるのが、次のような独特な文化史観である。

当時(昭和五年)のインテリ一般には西欧の進歩史観の影響から、湖南の言葉を借りれば何でも「だんだん後ほどよくなる」と考えられていた。その少し前までは、中国の影響で、道徳も文化も古代がいちばんよくて「だんだん後になると堕落する」という考えかたが支配的だった。ところが、内藤湖南はそのどちらでもない、「ある時代にはある種類の文化は絶頂に達するものだ」と考えた。

内藤湖南は京大に招かれる前まで新聞記者だったということから、「ジャーナリストとしての感受性が躍如としてい」るという。面白し。

「『日本文化史研究』に収められた全十九篇の文章のうち、少なくとも十二篇は講演(ないし談話)の下書きや速記原稿などをもとにしてい」る。それらが、「まことに洒落っ気にとんでいる」とも。教え子だった貝塚茂樹によれば、その講義は「淀みなく筋がとお(り)」、「まことに耳にやさしく美しくひびく声であった」。

■金子光晴『絶望の精神史』

出だしが目をひいた。

この『〈狐〉が選んだ入門書』にとりあげた二十五冊のうち、これはもう異色中の異色といってよい一冊です。

近代日本の詩史において、萩原朔太郎と双璧をなすのが金子光晴である。思想も特異なら表現も特異。アメリカ研究で知られる本間長世いわく「この一冊(『絶望の精神史』)を読めば、近代日本のすがたが「全部わかる」」。本当かね? と思ってしまった。ここは、だまされたと思って、読むしかあるまい。

おやっと思ったのが、関東大震災と虐殺のところ。

まず、明治時代と大正時代の違いがある。「「人間の真実やヒューマニズム」をめぐってさかんな議論が生まれ、よくもあしくもそれを支持したのが大正時代だった」。それまでの明治期には、「よく世を捨てるということはあっても、日本人を捨てる(などと考える日本人が出てきた)ということは思いもよらぬことだった」。

以下、孫引き
「これまでにない日本人の出現」したと思われた大正時代だったのに、関東大震災という「わずか、無秩序混乱の幾十時間のあいだに、大正人のきれいなうわっつらがひんめくられ、昔ながらの日本人が、先方から待ってましたとばかりに、のさばり出てきたのだ」。

このことから山村さんは次のように書いている。

P145
(関東大震災から、)さまざまな人の言説がありますが、この震災をきっかけにひとつの精神史的な先祖がえりがおこったという見かたを、私は金子光晴の文章によってはじめて知らされました。

■井筒俊彦『イスラーム誕生』

内藤湖南『日本文化史研究』が出てくると、たいがい並び称されるのが井筒俊彦のような気がする。

「イスラーム抜きにアラビア語をやることは愚劣だ。アラビア語をやるならイスラームも一緒に勉強しなければならないということを、(大学助手時代の)井筒俊彦は徹底的にたたきこまれ」たのだという。

先生の名をイブラーヒームといった。その先生が「わしはもう、教えることはみんな教えた」といって、紹介してくれたのが、イスラーム世界にその人ありと知られた大学者のムーサー先生。この先生は、家賃が払えないため、押し入れの上段だけ借りて生活していたという変わり者だった。もちろん本などは持っておらず、「『コーラン』、ハディーズ(無は万度言行録)、神学、哲学、詩学、韻律学、文法学、そのほか主なテクストは全部暗記している。」

そのムーサー先生が井筒俊彦の部屋にある大量の本を見て大笑いした。

P173
火事にでもなって、本が焼けたらどうするんだ。勉強ができないだろう。なんと情けない。お前は火事ごときで勉強できなくなる学者なのか。

出典は中央公論社版『井筒俊彦著作集』別巻、司馬遼太郎との対談。

同対談で、「(井筒俊彦は)二十人ぐらいの天才が一人になっている」と司馬が語ったという。井筒俊彦がどれだけ抜きん出た語学力の持ち主だったかという例は枚挙にいとまがない。英仏独などの「近代ヨーロッパ語は」「言語学的にあまりに簡単すぎてつまらない」。「それらの言語にくらべ、ヘブライ語、ギリシア語、サンスクリット語、アラビア語などは、そのむずかしさが「快い」抵抗になる。」

イスラームの特性、アラビア人の特性は、アラビア語の特性とひとつのものであるという。だから、井筒俊彦がイスラーム世界のこと、宗教、思想、文化について語るとき、ほとんど必ず、アラビア語のことも語られる。

大川周明との関連は書いてなかったのだろうか。

アラビア文学といえば世界中で『千夜一夜物語』を思い浮かべる。しかし、これほどほんとうのアラビアの形象から遠いものはないのだとも。まるで「アラビア語の衣を着たインドとペルシアの物語文学にすぎない」。「砂漠のアラビア人はもっとはげしい現実主義者だ。」

そういえば、去年、NHKで井筒俊彦の特集番組があった。
NHK BS1スペシャル 2019年11月8日23:00~『イスラムに愛された日本人 知の巨人 ・井筒俊彦』

■若桑みどり『イメージを読む』

美術の専門ではない学生たちへ美あ術史の講義した内容をまとめたもの。

デューラーの版画「メレンコリアⅠ」の中に、建築科の受講生が髑髏の図柄を発見したというところが面白かった。P213「この版画のなかになんと世界中の研究者がおそらくだれも気づいてはいない図柄を発見した」だそうだ。見たいぞ、髑髏。

ちょっとはなしが逸脱するのだけれども......。
『イメージを読む』を実際に読んでみた。特に興味がわいたデューラーの版画「メレンコリアⅠ」のところ。すると、どこにも「世界中の研究者がおそらくだれも気づいてはいない図柄を発見した」とは書かれていない。若桑みどりが書いているのは「こういう解釈はたぶん、世界でまだだれもしていないでしょう。」だった。

では、ここの「こういう解釈」とは何を指しているのか。あきらかに、その前に書かれている若桑みどりの推論部分のことではないだろうか。

ちくまプリマーブックス版『イメージを読む』
P160~161
数年前ですが、私が千葉大学の教養部の講義で、やはりこのことを話したのですが、そのとき、建築科の学生が、多面体の中にガイコツが見える、といい出したのです。どうですか。見えますか。
(大部分の学生が見えると答えた)
みなさんには見えますか。私にはいまひとつ確信がもてないのです。ただ、ガイコツかどうかわからないが、なにかぼんやりとした不気味な顔のしみがあるのはたしかだとおもいます。もし、それが確実だとしたならば、この意味不明な多面体は、まだ形を確定していない石の状態を象徴しており、そこにぼんやり浮かびあがってくるガイコツのような人の姿も、その石と同様に、まだ不完全な人間の状態を表しているのかもしれません。こういう解釈はたぶん、世界でまだだれもしていないでしょう。

『〈狐〉が選んだ入門書』に出てくる15冊は、どれも読んだことがなかった。初めて読んだのが、この『イメージを読む』だった。それで思ったのが、けっこう自分とは目の付け所が違ったのだな、ということだった。200頁以上もある中から「モナリザにおける水の秘密」を取り上げるなどというのは、思いもよらない。もっと他に、強く残ったところがいくらでもありそうだ。

もっとも、山村さんは「テーマ」に沿って書いている。たとえば『イメージを読む』であれば、「「名画」という価値から解放された絵の見かた」である。「はじめに」P009でも書いているように「人工に膾炙しすぎ」「通俗性にまみれてしまったような」モナリザから、「だれもが想像すらしなかった魅力を引き出してみせ」たり、「だれも気づかなかった謎をさぐりあて、解明してみせる」。そんな視点からであれば、モナリザのところを選ぶのだろうな。