沢野ひとしさんがおもしろいことを書いていた

◆『本の雑誌2019年3月号 特集=出版業界消えたもの列伝』の連載に沢野ひとしさんがおもしろいことを書いていたのを見つけました。

神保町物語
文化アパートと明智小五郎

ここで、沢野さんが紹介していることを以下に要約してみます。

旺文社の日本学生会館 は、昭和初期に 文化アパートメント と呼ばれ、日本初の本格的な集合住宅だった。
設計はヴォーリズだった。
『乱歩と東京』(松山巌、ちくま学芸文庫)によれば、明智小五郎と小林芳雄少年のいた事務所は文化アパートの二階にあった。
室内は完全に欧米式で、靴のまま入れるようになっていた。
その当時各部屋には全室電話がついていた。
地階には明智専用の自動車車庫、クリーニング屋、理髪所、倉庫があった。一階にはレストラン、バー、宴会室、社交室、郵便取扱所があり、屋上はルーフ・ガーデン、運動場になっていて、そこからは富士山が眺められた。

この 文化アパート、後の 日本学生会館 が解体されたのは、1986年。
この解体に立ち会う場面を島田荘司は『網走発遙かなり』(講談社文庫)の「乱歩の幻影」の章で描き、何とも色っぽい夫人を登場させてじっくりと読ませてくれます。この建物は目立ってたので、なんとなく記憶に残っています。外堀沿いを走る総武線や中央線の車窓からよく見えました。ただし、まさかあれが明智小五郎の事務所があった建物のモデルだったなんて、その時はまったく思っていませんでした。当時、戦前からの建物は、相当な数、残っていました。

旺文社の二代目の方が鎌倉に建てたという自宅の跡、「鎌倉歴史文化交流館」を沢野さんが訪れたときの描写が読ませます。

P127
(建物の中には)まったく人影はなく、外では若い親子が黒い蛇が動いているのを怖がりもせずじっと見つめていた。

しめくくりの文章がこれなんです。

沢野さん、いったいいつのまに、こんな不思議な文章を書くようになったのかな。もっとも、最初からだよと言われてしまいそうですが。