[NO.1468] 生還

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生還
小林信彦
文藝春秋
2019年03月15日 第1刷発行
193頁

電子版『週刊文春』では読めないので、2年前に脳梗塞で小林信彦氏が入院。その後2度も転倒して骨折、再々入院していたなんて、まったく知りませんでした。その顛末をつづったのが本書。私小説のような、なんとも不思議な一編となっている。

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もともと現役作家の中で、愛読していたのが小林信彦。信頼できる書評のベスト3に入る存在でした。このところ、ちっとも新刊を見ないとは思っていたけれど。

下の娘さんが、某大手出版社の編集者ということもあって、いろいろ心をくだいてくれたのだとか。こういった家庭内の事情を読むことは、これまでなかっただけに、いろいろこちらも気を回しながら読む。

それにしても、これまでに都心の病院へ通院していたのは何だったのか、と思ってしまった。倒れるまで、わからなかったのだろうか。脳梗塞になってしまったのは、ひとえに運動として歩かなかったことに原因があるという。

都合、3回の入院生活(と、途中で退院、帰宅した短い様子を挟みながら)が詳細に書かれている。小林信彦という作家の文章だから、どこまでが本当のことなのかはわからない。本人が書いていることには、こうして脳梗塞で入院した様子を書くことで、読者に少しでも実態を伝えられたらいいというようなこともあったが。

夢のような記述が出てくると、シュールな小説を読んでいるみたいな気分になってくる。個性的な入院患者の様子や病院関係者について、独特の視点から描写されると、まるで中島らもの『今夜、すベてのバーで』のようだった。病室の天井の模様からおかしなストーリーが展開されたり、食事や排泄についてなどについて執拗な記述が続く場面では、北杜夫の『日米ワールド・シリーズ』(北杜夫 著、実業之日本社 刊、1991年)所収、「私はなぜにしてカンヅメに大失敗したか」を想起する。そういえば、この本について、小林信彦氏は書評を書いていたはず。

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【おやっと思ったところ】

1)文体について

脳梗塞により、左半身麻痺になったので、右利きの小林氏はペンをもつことができた。そこで考えたこと。もし、逆側が麻痺していたなら、ペンをもてない。自分には口述筆記は無理だろうと考える。なぜなら、自分のこれまでを思うと、原稿用紙に向かって書き出したあと、もともと書こうと考えていたことではない内容に変化してしまうことが多い。スタンダップ・コミックの芸人にたとえれば、主題をそれていってしまうこと、そうしたトークのうねり、それが作家にとっての文体になるのだろうという。受け手(読者)が喜ぶのは、そうした部分にあるのだろうとも。ズレとも呼んでいる。口述筆記では、そういったズレが出せないので、無理だという。

P43
太宰は『走れメロス』を後述し、妻に書き留めさせたのだが、日をあらためて続きを述べるとき、まったく前後の乱れがなかったという逸話がある。

太宰は『走れメロス』を後述し、妻に書き留めさせたのだが、日をあらためて続きを述べるとき、まったく前後の乱れがなかったという逸話がある。

2)大泉洋と二宮和也をずいぶんと誉めていた。

P142
(小林氏の大好きなクリント・)イーストウッドは日本人を見ると「ニノミヤ」はどうしている」と訊くらしい。二宮君、もって瞑(めい)すべし。

P182
つまり、大泉洋の演技も、森繁――渥美の系列の延長線上にある、と言って、言い過ぎではないだろう。これはとてもホメているのですよ、大泉さん!

自分の好きな森繁久弥と渥美清を引き合いに、これだけ誉めているのも珍しい。病後の自分を地に足が付いていない状態と称しているだけに、舞い上がっているみたい。

3)85歳で生還したことを踏まえた感想

映画人でいえば、若い頃にエライといわれていたのは小津安二郎だけで、黒澤明は途中から出てきた人であった。というたとえに続けて、

P145
作家でいえば、志賀直哉が圧倒的にエラく、谷崎潤一郎は「細雪」を完成した大家という扱いであった。私は八十五歳まで生きたおかげで、「瘋癲老人日記」の谷崎をベストワンと誇り、太宰治をひそかに支持してきたことを安心して自慢できる身になった。世の評価すべては、私が二十歳のころと全く違っているので、安心してこう書けるのだ。

日本の近代文学史の流れからいって、ぜんぶがそのとおりであるともいえない気もするが、安心してこう書けるのだ とまで言いきる小林氏。文壇から一線を引かれていたのだろうし。写真家の荒木経惟に、小林さんはポップだから......と評されたことを自分で書いていたことを思い出す。
太宰について思い出したこと。文壇バーでは、おくびにもださないけれど、こっそり太宰治全集を持っていることを隠している作家は大勢いることだろうと書いていたのは、第三の新人のどなただったっけ。

この先、なにを書きのこしてくれるのだろう。怖いものなしのようだ。おや、この本も表紙は平野甲賀だった。