[NO.1441] こぽこぽ、珈琲/おいしい文藝

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こぽこぽ、珈琲/おいしい文藝
阿川佐和子 他 著
河出書房新社
2017年10月20日 初版印刷
2017年10月30日 初版発行
205頁
再読

コーヒーにまつわるアンソロジー集。著者は国内の著名な作家やエッセイストたち。古くは寺田寅彦から湊かなえまで幅広く31人にわたっている。「おいしい文藝」という名称の食べ物についてのアンソロジー集の中の一冊。

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掲載されている31人とそのタイトルが出版社サイトにアップされていた。リンクはこちらの中のタブ、「目次・収録作品」。  出典は巻末、「著者略歴」一覧に出ている。

中身はコーヒーが関係していれば、なんでもありなので、多岐にわたっている。多いのがコーヒーをいれる(たてる)ことについて。ドリップからサイフォン、パーコレーター、エスプレッソマシンなどなど。さらに豆を自分で煎る例も。こうした儀式のような手間ひまにまつわるエピソードがわんさかあることが、コーヒーについての特徴なのだろう。

おかしいのは、コーヒーの入れ方をあれこれ書いていながら、自分はけっして豆の種類については詳しくないと断っているひとが多かったこと。店に入って注文する際には、いわゆるストレートコーヒーではなく、ブレンドばかりを飲んでいるのだという人物がちらほら。どうやら以前には、こうした人でも豆を粉に挽いたりサイフォンやドリップで入れた経験はあったような口ぶりが感じられる。で、現在は店内で注文するときには「ブレンド」らしい。

日本人のコーヒー受容史のような内容が寺田寅彦「コーヒー哲学序説」。幼少期に初めて飲まされた記憶を思い出している。まだ珍しかった牛乳を医師が栄養を補うために飲みやすくする手立てとしたのが、コーヒーを混ぜることだったとか。32歳でドイツ留学した(1878年生まれ)ときの体験も、今読むと貴重だった。

内田百間「可否茶館」も百間らしい。日本郵船勤務時代(昭和14年〜終戦直後)の話。用事があって明治製菓に出かけた帰り、本館の喫茶室と別館にあった「可否(「カヒー」とルビ)茶館」での出来事が綴られている。しつこく繰り返される店員(「女の子」とある)とのおかしなやりとり、頑固に意地をはる百間、いつものパターンだ。「お菓子と珈琲をくれと云う」と、「ケーキに珈琲でよろしいんですかと女の子が片づける様に云」われる百間はほとんど確信犯だろう。殺伐とした様子が出てこないので、開戦前のことだろうか。こんなやりとりは、昭和の中庸ころにも聞かれた気がする。

百間のような喫茶店にまつわる話で長いのが、井上ひさし「喫茶店学ーーキサテノロジー」。駆け出し放送作家時代の業界用語を交えたやりとりやエピソードが延々綴られる。そういえば、喫茶店で原稿を書く話はいくらでも思い出せる。小田島雄志、片岡義男など、かつてはたくさんそうした話を読んだ。全部が手書きだったころのようなのはなぜだろう。そして今はどうなんだ? よく、テーブル面積の小さな店でマックエアーを広げている光景を名にするが、とても原稿を書いていいるというより、ネットを見ているきがするのだが。

どれも厳選されたアンソロジーだけあって、名文の書き手ばかりなので、おやっと思ったところがありすぎる。えいやっと選ぶ。

p126 吉田健一「カフェー」から
パリの歩道に並んだカフェーの話。もちろん戦前のことだろう。「頼めば便箋と封筒、それにペンとインクも持って来てくれる」というのだから。で、そのなかの終わりに出てくるのが隠居のこと。パリのカフェーは一日でもただそこにいられる。同じような場所が日本でもあったらどうか。「日本にもまだ隠居というものが残っているのではないだろうか。」って、いったいいつの話? 坂崎重盛氏が隠居について書いていたのも、今となっては古いのだろうな。

p153 柏井壽「京の珈琲」から
前ふりで、この頃ではなんでも大げさに呼び、匠(たくみ)だとか巨匠だとかが乱発される風潮をチクリ。珈琲バリスタのマエストロなんて......。
で、京都の珈琲の話。京都では珈琲をよく飲む。ここでは触れていないけれど、全国で消費一番は京都だったはず。有名な「イノダコーヒ」では、最初からミルクと砂糖が入っているのが本流だという。理由はそのほうが余計なことに神経を使わなくていい分、客の側は楽だと。それは他の店「六曜社(ろくようしゃ)」でも「スマート珈琲店」でも同じだという。

ここで展開される柏井氏の意見が面白かった。以下引用。

そして、ここが一番肝心なことなのですが、店側はこだわりを見せないようにしてるのです。
今では褒め言葉のようにして使われることが一般的になりましたが、本来、こだわりという言葉はマイナスのイメージが強かったのです。
「そんな細かなことにこだわっていたら、立派なおとなになれんぞ」
よくそう言われたものです。

うーむ。日本茶と同じように珈琲を楽しんでいる京都の「旦那衆」と呼ばれる人たちは、そうなのですね。それにしても、マニア=ヲタクがプラスに転じたのは、いったいいつころからだろう。(そんなことないか)。