[NO.1429] 実践! 多読術/本は「組み合わせ」で読みこなせ/角川ONEテーマ21

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実践! 多読術/本は「組み合わせ」で読みこなせ/角川ONEテーマ21
成毛眞
角川書店
2010年07月10日 初版発行
188頁

立て続けに話題となった書評『面白い本』『もっと面白い本』の前にに出版されていたもの。いわゆる書評は最後の5章のみ、もっと多角的な視点からの「読書指南書」という位置づけ。立ち位置はビジネスパーソン向け。趣旨は併読の勧め。社会人の読書とは。自然科学や軍事分野が経営に役立つなど。

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第1章 超併読のある生活、第2章 賢者の読書、愚者の読書、第3章 経営は自然科学に学べ、第5章 賢者の蔵書棚を作ろう――厳選ブックガイド、は他の著者の本でも目にした内容が多し。

【なかみについて、気になったところを個別にたどると】

p126『新版 馬車が買いたい!』(鹿島茂 著、白水社)
この本を推しているので嬉しくなった。「本書を高く評価している」「鹿島茂氏の書いた本はさまざまあるが、中でも本書が一番おもしろいと思う」。

その理由がよい。「本書はただただリッチな時間が過ごせる本なのだ。」 まったく、同感。「このような本を簡単に手に入れることのできる国に生まれて良かったと思ってしまうほどだ」 これ以上のほめ方は、めったにない。ちょろっと、鹿島茂著の『子供より古書が大事と思いたい』が頭の片隅をかすめたが。

p167『ナポレオン戦争全史』(松村劭 著、原書房)
表現に、面白いところを発見。

日本人はおおむね戦史に弱い。ダチョウのごとく見たくないものは見ないようにしてしまっているようだ。

「ダチョウのごとく~」の言い回しについて。面白し。

p186『落語と歌舞伎 粋な仲』(太田博 著、平凡社)
「本書はおそらく唯一の歌舞伎と落語を繋いだ読み物だと思う」 こういわれては、手にしないわけにいかない。

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第4章 書評の技術 が、「本ブログ」作成に参考になった。

4章内の項目を列挙
・書評とキュレーター
・書評を書く場合のいくつかの注意点と気構え
・書評をコンスタントに書くための知恵とは
・書評は工芸品。自己満足でマニアックな世界だ

「キュレーター」という語を目にするようになったのは、いつのことだったろうか。かつて愛読していた原田宗典の妹 原田マハが直木賞候補になったころ、Eテレの美術番組の案内役で出演したとき、その肩書きがキュレーターだった。今から5、6年前だったかもしれない。

「本屋大賞」が有名になる手前ころ、書店の中に個性的なポップで特定の本を薦めていることが話題にもなった。昔から個性を出した書棚作りをしている本屋はあったのだが。もっとも、古書店では、ずっと店主の見立てによる棚揃えがなされていたのだ。

成毛眞は、
① 新聞、雑誌での書評が嫌いな理由として、「ある意味で上から目線であり、あたかもエライ先生が生徒の文章を評価するという書評が多かった」としている。編集部からのお仕着せで選書をしたり、文芸評論家による評論そのもをを目的としている内容とも。
②「素人っぽい読書日記も好きではない。読書日記は記録として書くものだから、紹介する書籍は玉石混淆になる。そもそも読書日記とはいえ、普通の人の日記に興味を持つ人は少ないだろう。」著者は五冊読んだ中から選ぶのは一冊程度。勧めたい本しか紹介しないとも。

読み方は、アンダーラインと書き込みやメモをしない。ポストイットの付箋紙のみ。

読者(リピーター)が読みやすいよう、ブログのフォーマットを固定する。詳細に説明している。段落一字下げは横書きに向かないなど。

選書の分野をバラエティに富ませることを意識する。安いから誰にでも買いやすいので、新書は多めになる。科学読み物は出版点数が少ないから優先し、江戸物は出版点数が多いから優先しない。「1Q84」などの国民的な本は、たとえ読んでお勧めだとしても取り上げない。「品格」もの、「○○力」もの、などのぞろぞろ本も同じく選ばない。

あくまでも、読み手の立場を優先しているのがわかる。ただし、駅前書店のような棚にはしないとも。この先流行ると思うと紹介する、つまり、あくまでも自分の個性やセンスが光る書棚にしたいのだという。「私はむしろマニアックな顧客を相手にしたいのだ。」

著者は「ルール」と呼んでいる、いくつかの決めごとを自分に課しているのだ。矛盾しているところもないわけではないが、そのあたりが、著者の気概なのだろう。

ここまでは参考にできるが(5冊に1冊の選書とはいかないが。寄贈本がないし、資金が続かぬ)、次は真似できそうにない。新刊発売から3カ月以内(の選書)。

「書評を書くための読み方」として、「普通の読み方とは少し違う」といっている。まとめると、書評を書くために読む。これはなかなか難しい。「ノルマ」になるとつまならくもなる。「素人っぽい読書日記」とのジレンマの中、自分が面白く読めないと、続かないのだ。

「書評は工芸品。自己満足でマニアックな世界だ」で展開しているのは、揺り戻しのような内容になっている。(著者によれば、あくまでも一貫しているといわれるだろう。)

ここから、あのサイト「HONZ - 読みたい本が、きっと見つかる!」が発展していったのだろう。

p116
繰り返すが、私の書評は商業原稿とは違う。万人受けなどは決して狙っていない。少数の人だけが「俺はわかるぞ」と読んでくれる。そうして書評ブログであれば最高なのだ。本自体も本当はそうなのではないだろうか。

最も重要なことは、書評は対象となる本の内容を評価するためのものではないということだ。著者の主張の成否について吟味するものでもない。あくまでも本として面白いか、読む価値があるかということを伝えるものだ。
つまり、読書はあくまでも楽しむものだと思うのだ。
以下、途中略 (『ご冗談でしょう、ファインマンさん』を例にあげている)
読書家たるもの、素直に読書を楽しんで感嘆しても、「けっして本を真に受けるな」というわけだ。もちろん、私の本も同じ姿勢で読むのがいい。疑うべきである。本人がいうのだから間違いない。

p38「 古典は他人に任せて、新刊を読もう」 あたりは、「けっして本を真に受けるな」なのだろうな。