読書と日本人/岩波新書1626 津野海太郎 岩波書店 2016年10月20日 第1刷発行 |
忘れないうちにメモ。前田愛氏の『近代読者の成立』を挙げたなら、どうして外山滋比古氏の『近代読者論』を取り上げなかったのかな。岩波の編集者サイドからもアプローチはなかったのかしら。
それはさておき、日本文学史みたいな通論(概論?)風なのにびっくり。大学のテキストっぽいつくりなので。巻末にはもちろん参考文献じゃなくって「引用文献一覧」。加藤周一氏の『日本文学史序説 上・下』を思い出してしまう。
なにしろ、出だしが『更級日記』! 例の「娘が源氏物語を読みふける」様子から書き出している。これが第1章「はじまりの読書」。明治時代に入るのは約3分の1を過ぎたあたりから。
津野海太郎さんが一番いいたかったことは、二十世紀が読書の黄金時代だったということ。日本も含めて、世界的なことだった。だから、......。本が売れなくなったり、読まれなくなったのは、活字離れでも、スマホに移ったからでもない。黄金時代が終わったのだから、という趣旨。なるほど。
p210「売れる本がいい本だ」
商業主義のことですね。多種類の出版物があふれているのに、売れる本というのはごく限られていること。その例としてフレデリック・ルヴィロワ著『ベストセラーの世界史』から、マーガレット・ミッチェル著『風と共に去りぬ』とJ・K・ローリング著『ハリー・ポッター』の2冊が紹介されている。
ここでの主張はいわずもがな。
文学通史のところはさておき、面白かったのが津野海太郎さんが自分のたどってきた読書とのつきあいをとおして、その時々の世相を綴っているところ。細かなところで面白いところがいくつか。
ひとつ例を挙げると、p222「昭和軽薄体」グループについて。
こちたい思想用語などは最初からつかう気もない。肩の力をぬいて、とことん俗な話しことばで考えて書く。で、そのさいは笑いが不可欠。だから、あえていってしまえば「読むマンガ」ですよ。
どうも津野海太郎さんはあまり、お好きじゃなかったみたいな。おわりの部分の、あえていってしまえば「読むマンガ」ですよ。 ってあたりの書き方......。
具体的な名前、嵐山光三郎、椎名誠、赤瀬川原平、南伸坊、村松友視、林真理子、橋本治、糸井重里。今からみると、村松、林、橋本氏らはちょっと違ってきているかも。
そして「ニューアカ・ブーム」。で、
そのしばらくまえから〈読書〉にたいする人びとの態度がゆっくりと変わりはじめていた
高度成長期のあとから出版点数がふえ、飢えの時代のきまじめな読書法の力が薄れ、おびただしい量の本といかに気分よくつきあうかという、いわば満腹時代の新しい読書法ばもとめられるようになってきた。
前後するが、津野海太郎さんが大学に入ったのが1957年。実存主義から植草甚一、そしてミステリーへ。そういえば津野海太郎さんは晶文社でしたね。
そんな中、おやっと思ったのが、小説よりも評論を熱心に読んでいたというあたり。で、挙げておられる名前......
福田恆存『平和論にたいする疑問』(一九五五)、加藤周一『雑種文化』(五六)、花田清輝『乱世をいかに生きるか』(五七)、江藤淳『奴隷の思想を排す』(五八)、谷川雁『原点が存在する』(五八)、吉本隆明『芸術的抵抗と挫折』(五九)、鶴見俊輔『折衷主義の立場』(六一)、竹内好『不服従の遺産』(六一)、鶴見・藤田省三ほか『共同研究 転向』(五九~六二)などなど。
純度の高い大学人だった『現代政治の思想と行動』(五六)の丸山真男も含め...... 以下略
丸山真男の『現代政治の思想と行動』と『共同研究 転向』以外は、どれもこれも著者と作品との取り合わせが以外なものばかり。けっして代表作ではないのですね。津野海太郎さんが入学前後に出版されたものだった。リアルタイムで読んだのでしょう。新鮮でした。未読のものばかり。
だから小説でも、戦後派として、第一の新人と第二の新人は飛んで、第三の新人あたりからなのですね。むしろもっと後の大江健三郎とか。なるほど。
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