[NO.1382] 名作うしろ読み

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名作うしろ読み
斎藤美奈子
中央公論新社
2013年1月25日 初版発行

初出
読売新聞 2009年4月3日~2011年12月16日
夕刊コラム「名作うしろ読み」を改稿、編集し直したもの。

巻末「名作のエンディングについて」に本書のコンセプトがあります。
たしかに冒頭は知られていても、終わりの部分は取り上げられることは少ないでしょう。冒頭はいかに読者を今後とも逃さずに引っ張っていけるか、いわゆる「つかみ」の要素が強そうです。場合によっては、その先のストーリーすらまだ考えていないこともあります。

「終わりの部分」は、それまでのまとめや主題に結び付くこともあるでしょう。なるほど、これはうまい目のつけどころかもしれんぞと期待してみました。もっとも、この頃の小説は枚数の関係かもしれないけれど、最後になって急速にばたばたとあらすじだけ羅列して終わってしまうといったケースも増えた気がしますが。

で、手にすると、そんな心配はまったくの杞憂でした。なにしろ名作ぞろいなのです。それも古今東西の選りすぐりばかり。

トップに取り上げられた漱石の「坊っちゃん」が一番印象に残りました。

〈清のことを話すのを忘れていた〉と前置きして彼が最後に語るのは、終生「おれ」の味方だったばあやの清のことである。〈死ぬ前日おれを呼んで坊っちゃん後生だから清が死んだら、坊っちゃんのお寺へ埋めてください。お墓の中で坊っちゃんの来るのを楽しみに待っておりますと言った。だから清の墓は小日向の養源寺にある。〉
●この「だから」を日本文学史上もっとも美しい「だから」と評したのは井上ひさし『自家製文章読本』。その通りだと思う。

蛇足ながら、この「その通りだと思う。」の潔さがいいです。

蛇足のパート2。井上ひさし『自家製文章読本』は、かつて愛読書でしたから、何度も読んだはずなのに、この「(美しい)だから」を指摘したところはちっとも記憶に残っていません。そんな程度の読者なので、おまえはなにもわかっちゃおらん! としかられそうなのを承知で言わせてもらえば。清にこんなことを言われちゃったら、きっと「坊ちゃん」は死ぬのも怖くなかったんじゃないでしょうかねえ。

このあたりのニュアンスって、もしかして理解されなければ、とっても怖いホラーとしてとらえられたりしないかしら、などと心配になってしまいました。

まあ、漱石の「坊ちゃん」ってやつは、あとから冷静になって考えてみれば、とんでもなくうっとおしい与太話だって意見もあるくらいですから、なんとも言えませんが。たとえば小林信彦『うらなり』なんてのもあります。

 ◆  ◆

ぜんたいに、取り上げられた作品の妙が面白し。倉橋由美子『パルタイ』があったけど、今どき、いったいどんな人が読むのでしょうか。