[NO.1383] それぞれの東京

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それぞれの東京/昭和の町に生きた作家たち
川本三郎
淡交社
平成23年1月9日 初版発行

初出「それぞれの東京」
淡交社『なごみ』2009年1月号~2010年12月号(2009年4月号は未収録)

目次をネット上で探しても見つからない。そんなものなのかと寂しくなる。

「下町の暮らし、山の手の暮らし」
芝木好子、池波正太郎、植草甚一、加太こうじ、沢村貞子、桑原甲子雄、石田波郷......あたりを楽しみに本書を手にした。山の手や中央線沿線はいいや。

植草甚一に関してはほとんどの文章を目にしていたと思っていたが、震災にまつわる次のことは初めてだったような気がする。

p34
関東大震災で家は焼けたが家族は助かった。隣家の石油問屋は金持ちで伝馬船を持っており、舟で隅田川へ出ようとして堀割にあふれた伝馬船が燃えてしまったのだという。対する植草家は持ち舟がなく、それが幸いしたとのこと。

震災後、植草家は焼跡にバラックを建てて商売を再開するが、ほどなく小網町から両国瓦町(総武線の浅草橋駅近く)に転居する。
震災後の東京復興のなか、帝都復興院総裁後藤新平の区画整理案のおかげで小網町の土地がいい値で売れ、それに気を良くした父親が番頭の反対を押し切って瓦町に店を移し、そこで反物屋と手拭屋を開いたが、新しい土地での商売は行き詰まってしまった。その結果、店をあきらめることになった。そして飛鳥山へ移った。

こんな経緯があったとは知らなかった。親の商売がうまくいかなくなって......とか、姉となんとかいう喫茶店を開いたとかいった記述を読んだ記憶があったような。土地は借地じゃなかったんだ。