[NO.1375] 文庫本福袋

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文庫本福袋
坪内祐三
文藝春秋
平成16年12月5日 第1刷

実におかしな気分。自分のデータを検索しても、この本は読んだ記録がない。それなのに、かつて愛読した記憶が濃厚なのだ。今回、ここで読んで、興味がわいたのでメモをとる。すると芋づる式に読んだ書名が次から次へと沸いて出てきた。もしかするとデジタルで記録を取り出した時期より前に読んだのかもしれない。それにしてもこの既視感はなんだろう?

思いついて、「今回の課題図書」第1回目を見ると、2006年3月30日になっていた。それよりも前に読んだのだろうか。

「ほんのあれこれ(読書録)1」も検索してみたが、見当たらない。こちらの第1回目は2005年8月25日だった。それ以前かな。わからない。

初出
『週間文春』連載「文庫本を狙え!」第172回〜第365回分。
上記中、連載第1回〜17回は『シブい本』(文藝春秋1997年)に、第18回〜第171回は『文庫本を狙え!』(晶文社2000年)に収録。

他のシリーズものと比べ、第1巻にあたる本書の内容の濃さが感じられた。気合が入っている。

明治ものやいわゆる文芸書が続く合間に、ツボちゃんがかつて入れ込んだであろう洋物の思想書がはさみこまれている。ご自分でも書いているが、取り上げる選定には相当気をつかっているのがわかる。こちらとしては15年も前のそれも文庫化された海外思想書より、文芸書それも「ふるくさい」ものの方がいい。まして東京関連がいい。
ここで取り上げた書名を列挙しておくだけでも、自分にとって楽しい作業と結果が財産になりそう。

■   ■   ■

p34
鶯亭金升『明治のおもかげ』岩波文庫
本書で興味をいだき、古本屋でこの本を買った記憶あり。

淡島寒月『梵雲庵雑話』岩波文庫もあわせて古本屋で見つけて買ったはず。ともにどこへいってしまったのやら。

p36
根本圭介『異能の画家 小松崎茂』光人社NF文庫

私と同い年の文筆家唐沢俊一によると昭和三十三(一九五八)年生まれの私たちは、いわゆるオタク第一世代であるという。実際、オタク評論を代表する大塚英志や岡田斗司夫もやはりこの年の生まれであるし、オタク的感受性を色濃く持つ浅羽通明や大月隆寛、宮台真司らも、早生まれで年は一つ下だが、私たちと同じ学年である。

p43
多川精一『戦争のグラフィズム』平凡社ライブラリー
これはお買い得だった。本書の存在を知ったのは別のところからだったような。林達夫関連だったか。
『FRONT』について。

p63
平井呈一『真夜中の檻』創元推理文庫

実は私は平井呈一の訳や作品以上に、平井呈一という人物そのものに多大な興味を抱いている。先に触れた由良君美の『風狂 虎の巻』には、「最後の江戸文人の面影」という回想文も収録されているけれど、平井呈一は、浮世離れした畸人として知られていた。二十幾つ年下の永井荷風から「同好の士」として気に入られていた平井は、作品の代筆をまかされ、やがて贋作事件を生み、破門。その顛末を荷風に一方的に作品化されてしまう(「来訪者」)。
そのあたりの経緯は平井呈一の弟子だった紀田順一郎の『永井荷風』(リブロポート)に詳しく、その紀田順一郎がこの文庫版『真夜中の檻』の「解説」を書いていて、さらにもう一人の偉大な弟子荒俣宏が「平亭先生の思いで」と題する「序」を書いている(荒俣氏は紀田氏を通じての孫弟子ではなく、学生時代に直接、平井に弟子入りしていた)。東雅夫の「平井呈一とその時代」という一文も読みごたえがあった。

p66
本橋信宏『裏本時代』新潮OH!文庫

この『裏本時代』の後半部は、半年の命に終わったその伝説な雑誌『スクランブル』の編集体験の、いわば「夢の砦」((C)小林信彦)の貴重な実録証言である。

小話信彦氏の書名の付け方をこうして引用している場面には初めて出会った。新鮮。

p75
平出鏗二郎『東京風俗誌』ちくま学芸文庫

明治三十二〜五年に冨山房から刊行されたこの『東京風俗誌』は、その後何度か翻刻あるいは復刊されていて、私が入手したのは昭和五十年に出た八坂書房版だ。
しかし手に入れたものの、例えば同様のテーマを扱った今和次郎の『新版大東京案内』(中央公論社昭和四年)などと比べて、あまり熱心に読むことはなかった。

p82
加藤典洋『日本風景論』講談社文芸文庫

ところがカナダのモントリオールに赴任する一九七八年十一月、「日本より送った荷物のうち中原中也論草稿一千数百枚を入れた箱が届かず数年間の仕事が水疱に帰した」。けれどその地で大切な出会いもあった。同地の大学に客員教授で来ていた鶴見俊輔との出会いだ。「鶴見氏の人柄に接し、世の中を斜に構えて生きるのは美しくないことをさとる」。その時、加藤氏は、たぶん「自前の言葉」を発見しようとしていたのだった。

p107
大岡昇平『成城だより』(上)講談社文芸文庫

「成城だより」もサブカルについて、しばしば言及する。しかしそれは、あえて低徊趣味を装っているのではなく、本当の好奇心からだった。『俘虜記』や『レイテ戦記』で知られる戦後文学の大御所でありながら、しかも七十歳を越える老人でありながら、その好奇心はとても若々しかった(今、突然思い出したけれど、「成城だより」の連載開始と入れ替わるように、大岡昇平とほぼ同い年のあの植草甚一がこの世を去っていった。植草甚一がもう少し長生きしていたなら、「成城だより」にどのような感想を抱いたことだろう)。

最後の部分「植草甚一がもう少し長生きしていたなら、「成城だより」にどのような感想を抱いたことだろう」に同感。この感じ方がいい。

p111
泉麻人『大東京バス案内(ガイド)』講談社文庫

今は亡き田中小実昌の跡を継いで、文壇の二代目「路線バス王」の座を満場一致で(たぶん)、襲名したのが泉麻人である。

p146
宮本和義+建築知識編集部編著『東京を歩こう!』エクスナレッジ

p158
森銑三/小出昌洋編『新編 明治人物夜話』岩波文庫

p183
今和次郎編纂『新版大東京案内』ちくま学芸文庫

私は、雑誌『東京人』の編集者時代、その復刻版(批評社一九八六年)を入手し、辞書がわりに愛用し愛読もした。

p191
ジョン・レノン、オノ・ヨーコ/池澤夏樹訳『ジョン・レノン ラスト・インタビュー』中公文庫

だけど今の私には、「イマジン」で描かれる世界と、例えば、相田みつをが描く世界との違いがわからない。ウソだと思うなら「イマジン」の歌詞の対訳をみつを文字で想像(イマジン)してごらん。
戦闘的な平和主義者だったはずのジョン・レノンは、いつから、ただの愛と平和の使者に成り下がってしまったのだろう。そういうイメージが出来上がってしまったのだろう。
不思議な気がする。
途中略
それから、単行本で読んだ初読の時には気づかなかった「イマジン」についてのこういう一節に私の目が止まる。
〈あの歌は実際にはレノン/オノの作とすべきでさ、多くの部分がーー歌詞もコンセプトもーーヨーコの方から出ている〉

ツボちゃんが書いた日付。(01・12・13) 早い。

p193
岡本綺堂『風俗江戸東京物語』河出文庫

もしタイムマシーンがあったなら覗いてみたい場所の一つに明治の東京の寄席がある。といっても落語や講談に興味があるわけではない。
その空間の雰囲気を肌で味わってみたいのだ。
例えば明治十二(一八七九)年、今よりずっと狭いエリアの東京府の中に百七十六軒もの寄席があった。つまり人びとが気軽に歩いて行ける範囲に何軒もの寄席があった。

p216
丸山眞男・古在由重『一哲学徒の苦難の道』岩波現代文庫

対話者はマルクス主義哲学者の古在由重(丸山眞男より十三歳年長の一九○一年の生まれ)で、一般の読者には少し固めの内容が語られているのだが、丸山眞男の座談力と古在由重の飾らない人柄によって、私はとても面白く読み通すことが出来た。

p236
小林信彦・荒木経惟『私説東京繁昌記』ちくま文庫

この本を文庫化することにはずっと「ためらい」があったと小林氏は述べているが(どうしてこんな名著を文庫化することに「ためらい」があったのだろう)、私としては、もっと早く、かつて輝いていた頃の中公文庫の新刊として、この作品を野口冨士男の『私のなかの東京』や安藤更生の『銀座細見』や海野弘の『モダン都市東京』などと同じ背表紙で並べてみたかったという思いもあるが、二○○二年の今、この本を、一冊の新刊として受け止めた方が、この、「東京という街の基本骨格」が描かれ、しかも「ふつう東京論にはない体験的な知識・情報も書きとめ」られているディープな東京本の、まさにその深(ディープ)さが生々しく伝わってくるだろう。

p258
本間國雄『東京の印象』現代教養文庫

社会思想社が事実上の倒産をした。

以下、大量の現代教養文庫にあった良書が羅列される。

それから明治大正物。馬場孤蝶の『明治の東京』、田山花袋の『東京近郊 一日の行楽』と『東京震災記』(現代教養文庫の中で私が一番思い出深い一冊)、横山源之助の『明治富豪史』と『下層社会探訪集』 以下略

p285
ドナルド・キーン/足立康訳『果てしなく美しい日本』講談社学術文庫

ところで、変わったか変わっていないかで言えば、「日本人が元旦に明治神宮や皇居を訪れるのは、恐らく敬虔の思いや愛国心からではなく、自分自身、願わくば記録破りの大群衆の一部になりたいと考えるからなのだろう」という一節は、はたして、ずっと変わらぬ日本人の国民性なのだろうか。

みんなと一緒がいい。一緒じゃなければ不安。

p291
庄司薫『ぼくの大好きな青髭』中公文庫

中公文庫の庄司薫の「赤・白・黒・青」四部作、すなわち『赤頭巾ちゃん気をつけて』、『白鳥の歌なんか聞こえない』、『さよなら怪傑黒頭巾』、『ぼくの大好きな青髭』の新装改訂版が出た。この内『赤頭巾』はすでに一九九五年に改訂版が出ていて、「四半世紀たってのあとがき」が「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」と並んで載っていたが、今回の「白・黒・青」の新装改訂版にも「翌日読んでもらいたいささやかなあとがき」が付け加えられている。庄司薫の愛読者ならその「あとがき」のためだけでも買い直したくなる。

「赤・白・黒・青」四部作について、こうして雑誌評で堂々と書くところがいい。

p298
山本夏彦『オーイどこ行くの』新潮文庫

このコラム集の最後に、「淡きこと水のよう」と題する福田恆存への短くもないように満ちた追悼文が載っているが、かつて福田恆存は、山本夏彦について、「この人の文は気味が悪い、虚無の深淵をのぞく思いがする」と述べたという。

p301
正宗白鳥『自然主義文学盛衰史』講談社文芸文庫

六月には岩波文庫から『新編 作家論』が刊行され、そして今度は、その代表作である『自然主義文学盛衰史』が講談社文芸文庫に収録された。
途中略
トルストイの家出をめぐって若き日に正宗白鳥と激しい論争を交わしたことのある小林秀雄が、最晩年、『本居宣長』を経て正宗白鳥にたどりついたことは良く知られている。
その論争で、白鳥の批評をただの時代遅れの印象批評に過ぎないと毒づいた小林秀雄は、未完に終わった遺作「正宗白鳥の作について」で、『自然主義文学盛衰史』のことを、こう語っていた。
〈その内容は、ただ独り世に残された者の悲しみで充填され、その個性的悲しみの中で、自然主義文学の盛衰が、何の成心もなく語られる。この無私は、実証主義とか客観主義とかを標榜してゐる者の隠し持つた心の空しさとは何の係はりもない〉

下記にある小ネタのようなエピソードを好きかどうかが、ツボちゃんファンになるかどうかの分かれ目になる気がする。

最後に私の好きな白鳥のエピソードを披露しておきたい。評論家の臼井吉見が書いていたのだが、評論家たちが時代のつまならなさを批判していた戦後のある時、白鳥は臼井吉見に向かって、今くらいいい時代はないと言った。つまり、「アイスクリームなんて、うまくて安いものが、年がら年中、食えるなんて、これ一つだけでもいい時代だよ」と。いつの時にも白鳥心を。

p317
青山二郎『青山二郎全文集』上・下 ちくま学芸文庫

要するに、十九世紀日本が生んだ最上質の高等遊民が淡島寒月だとすれば二十世紀日本が生んだ最上質の高等遊民が青山二郎だ(果たして二十一世紀日本は彼らに続く上質の高等遊民を生み出すことができるのだろうか)。

p326
安藤鶴夫『歳月』講談社文芸文庫

p329
木村荘八『東京風俗帖』ちくま学芸文庫

すでに『新編東京繁昌記』(岩波文庫一九九三年)を持っている読者も、買って損はない。

p359
船曳建夫『二世論』新潮文庫

一番笑えるのは林家こぶ平が語る父三平の授業参観日のときのエピソードだ。当時三平は「分刻み」のスケジュールの超売れっ子だった。こぶ平のグループ発表の番が近づいて来ても三平の姿は見えなかった。
〈ふっと見たら、校庭を親父が横切るんですよ。それも高座の合間だったんでしょう、紋付き袴で来ちゃったんですよ。その後ろを、ギターを抱えた林家ペーさんまでついてきちゃった〉
そして皆の前でギャグを披露すると三平はまた矢のように消え去っていったという。

この話は何度か自分で口にした記憶がある。もっとも、元こぶ平や元三平さんのことを知らなければ、面白みもないか。

p436
石田五郎『天文台日記』中公文庫

私が天文に興味を失っていったのは、中学二年、一九七二年の秋頃だった。
と言うと、例のユーミンの歌にもうたわれている、空振りに終わったジャコビニ流星群のせい、だと思われるかもしれないが、そんな単純な話ではない。
一冊の本に挫折したからだ。
それは筑摩書房の「ちくま少年図書館」というシリーズで出ていた『天文台日記』だ。
少年向きの本であるはずなのに、当時の私の頭には難しすぎた。

このエピソードも記憶に残っている。友人が進路希望として天文学者を挙げたのは、この「ちくま少年図書館」というシリーズで出ていた『天文台日記』を読んだことも、きっかけになったような気がする。すぐに影響を受けやすい自分も、いっとき憧れたような......。

p439
佐藤春夫『佐藤春夫』新学社近代浪漫派文庫

p441
内田百閒『うつつにぞ見る』ちくま文庫

私は単行本を踏襲した旺文社文庫版の内田百閒(田村義也の装丁が見事だった)を全巻(三十九巻)揃えて持っているし、テーマ別に編集された福武文庫版(これまた田村義也の装丁が洒落ていた)も十冊以上書棚に並んでいる。

何年か前、神保町の安売り店頭ワゴンで旺文社文庫版の内田百閒を数冊見つけて買いこんだ。ところが、これで当分の間はエッセイで読む本がなくなることはないだろうと妙に安心した記憶がある。そうして何冊かを紛失した。旺文社文庫でたくさん出ていたことは知っていたが、39巻とは知らなかった。全部持っているとはうらやましい。

p443
戸板康二『続 歌舞伎への招待』岩波現代文庫

p467
小林信彦『面白い小説を見つけるために』知恵の森文庫

小林信彦の『小説世界のロビンソン』が『面白い小説を見つけるために』と改題されて光文社「知恵の森文庫」に収められた。

p471
鹿島茂『衝動買い日記』中公文庫

鹿島茂の数多い連載の中で私が一番愛読しているのは『室内』に連載されている「室内室外」だ。

もしかして、山本夏彦氏の「室内」ってことですよね。あの鹿島茂氏の愛書エッセイが載っていたなんて、知らなかったのかそれとも忘れていたのか。

p478
青木正美『古本屋五十年』ちくま文庫

青木書店を訪問したのは何年前だっただろう。