[NO.1368] あのころ、早稲田で

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あのころ、早稲田で
中野翠
文藝春秋
2017年4月10日 第1刷発行

ご本人はこのような本を出すことに反対だったという。確かに恥ずかしいだろうと思う内容。団塊の世代が早稲田の政経で過ごした4年間のこと。60年代のあの時代について、なんとなく想像はできる。

宮崎学の『突破者』がらみで、呉智英さんの名前が出て来た。宮崎学とは親交なかったようだが、呉智英とは「長年の友人」だという。当時の呉智英さんの似顔絵つき。方までの長髪。

p63
いわゆる「男が男に惚れる」的なエピソードがいくつか綴られていて、ゴチエー先生の長年の友人である私でも「ふーん、そうだったの、カッコいいじゃないの」と感心してしまうのだが......宮崎学が「新崎は私と同学部同学年で、ロシア語クラスのクラス委員をやっていた。当時は髪も流行の長髪、なかなか堂々たる美男子だった」という一節には、エッ!? と驚いた。「異議あり!」と思わずにはいられなかった。
長髪だったのは確かだけれど「流行の」という感じではなかったし、美男子というには太り過ぎていた。伸長は高めで、いつも茶色のコーデュロイのジャケットを着ていたので熊のぬいぐるみ(「テディベア」とふりがな)のように見えた(その後、糖尿病で痩せたのだけれど)。

通読後に振り返ってみると、恵まれていたことをどれだけ自覚しているのかなと思った。家庭環境が経済的にも恵まれていた様子がわかる。たしかにアルバイトで学費を稼いでいたけれど、旅行代等は親がかりだったようだし。もっとも、当時は学生運動という大きな問題が、今とは違って目の前にたちはだかっていたのだ、と言われそうだが。二つ目は就職についての時代背景かな。

p160
そんな話を同い歳の元・敏腕編集者H氏に語ったら、「中野さん、僕も同感ではあるけれど、僕たちと、今の若い子たちでは時代が違うんだよ。決定的に経済成長率が違う。僕たちは経済成長が高レベルで推移している中での就職だったけれど、今の若い子たちは経済成長が低レベルの中で育って、就職するわけだから。世の中世知辛くなるのも無理ないんだよ」と言われ、そうれもそうかなと反省した。でも......やっぱりイヤだなあ。陰険で、計算高く、自分を頑なにかばっている若者なんて。そういう奴がいても仕方ないけれど、デカイ面だけはしないで欲しい。
そうそう。結局のところ、「就活」って具体的にはどういうことをするのか、映画を観てもよくわからなかった。試験を受ける以外に何か、することあるの? はい、私、いまだに世間知らずです。

「いまだに世間知らず」ってところでがっかりしたと同時にびっくり。いったいお幾つになったの? しかもコラムニストですよね。1965年当時はなんだかんだと言っても、大学生に対する世間からの見方が今とは大きく違っていなかったかな。きっと優遇されていても気がつかなかったのかもしれない。
なんだか不安になって、進学率推移を調べてしまった。

読売新聞の記者だった父のコネでアルバイトに入ったというのでは、その後「フリーのライターとして自活できるまでザッと10年近くかかってしまった」というのとは身分が違うのではないかな。アルバイトとはいえ、コネのことを書いてしまって、恥ずかしくないのかな

やっぱりどうもこの世代は苦手。