[NO.1338] 滑稽な巨人

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滑稽な巨人/坪内逍遙の夢
津野海太郎
平凡社
2002年12月11日 初版第1刷発行

どうして津野海太郎氏はこの本を書いたのだろうか。不思議だった。その答えは「あとがき」にあった。

逍遙は、「個人」も「国家」もたのむに足らず、とふかく感じていた。その意味で、かれは「個人」と「国家」を二本の軸としてかたちつくられた近代日本の枠ぐみには収まりにくいへんな人物だった。
したがって、たしかに成功(銅像イメージはそこに発する)もしたけれども、おなじくらい大きな失敗をなんどもかさねた。しかも本書でも繰りかえし述べたように、かれ白身はその成功(『小説神髄』や『桐一葉』から旱稲田大学文学科創設をへて『シェークスピヤ全集』単独訳にいたる)よりも、どちらかといえば、失敗に終わった諸事業(家庭設計や中学の倫理教育から、新舞踊劇やページェント劇運動にいたる)のうちにこそ、白分の本領はあますところなく発揮されていると考えていたようなのだ。そうと気づいて、それまでは遠かった逍遙がなんだか親しい仕事なかまのように感じられてきた。逍遙はその成功によって私たちから遠く、その失敗によって私たちに近い。失敗はしばしば滑稽である。その滑稽という通路が私をうまく逍遙のほうへみちびいてくれた。と、いまはそう考えている。

私は本書を一九八○年代の終わりごろ、リブロポート社から刊行されていた「民間日本学者」シリーズの一冊として書きはじめた。ところが第三章まで書いたところで、私の関心がとつぜんコンピューター文化に移り、『本とコンピューター』(一九九三年に晶文社から刊行)という本を書きはじめて、しばらく逍遙先生をほったらかしにしておいたら、かんじんのリブロポート社が消滅してしまった。
それから十年がたち、どこかで私に中絶した逍遙評伝(?)のあることを知った平凡社の足立亨氏が、『月刊百科』でつづきを書きませんか、と声をかけてくれた。おかげで、おそらくこのままで終わってしまうのだろうとあきらめかけていた本書を、なんとか最後まで書きとおすことができた。足立さん、そして当時は平凡社にあって私をたくみにその気にさせてくれた龍沢武氏に感謝します。そして、おなじ気もちをリブロポート時代の編集者、早山隆邦氏(現NTT出版)にも。おひさしぶり。こういうことになりました。四十代に書きはじめた本を六十歳をこえて書きつぐのは、案の定、なかなかたいへんでしたけどね。

二○○二年十一月三日
津野海太郎

中断していた原稿を二十年ぶりに再開とは。「私の関心がとつぜんコンピューター文化に移り」というところに笑ってしまった。十分に津野海太郎氏も面白い。
前半に書いている、「個人」と「国家」あたりのことをもっと詳しく書いているところが本文中にある。

p36

ごく大雑把にいって、逍遙は近代的な個人という観念に同情をもっていなかった。それと同時に、ここでは触れなかったが、かれは官僚や軍人や政治家がつくる近代国家としての日本にたいしても、さして共感をもつことができなかった。
ようするに逍遙という人は、近代日本にとりついた「個人」と「国家」という二つの憑き物のどちらにたいしても、「こんなものを支えに暮らしてゆくわけにはいかない、自分が生きる拠りどころとしてはこれでは不十分だ」と感じていたらしいのである。そのかわりにかれがえらんだのは地縁血縁を間わない小さな文化集団だった。はじめにも述べたように、その昔、逍遙青年は江戸の戯作者サークルにつよくあこがれていた。しかし、もうそんなものはどこにも存在しない。とすれば近代日本という新しい環境のうちで、それに匹敵しうるだけの力をそなえた文化集団をつくりあげるにはどうすればいいのか。お手本はどこにもない。しょせん自分でやってみるしかないのだと考えた逍遙は、時をへだてて、三つのお手製の実験をこころみた。
その第一は「家庭」である。かれは若い娼妓と結婚し、数人の養子をそだて、かれらとともにつくった家庭を新しい芸術運動の拠点にしようとした。
その第二は「学校」である。開校したばかりの私立中学の責任者として、かれは国家中心でも個入中心でもない倫理観にもとづく教育の場をつくろうとした。
その第三は「戸外劇」である。それによってかれは専門の演劇人が劇場の内側につくりあげるのではない、ふつうの人びとが白分たちの暮らす土地でつくるページェント劇を夢みていた。
結果的に見れば、程度の差はあるものの、どの実験も失敗に終わったといわざるをえない。それは逍遙になにか(たとえば個人や国家の意識)が足りなかったからではなく、反対に、なにかが多すぎたからである。その古さも新しさもひっくるめてのなにかーー逍遙の多すぎる夢を読みとく枠ぐみを近代日本はもっていなかった。そのために、かれは周囲から浮きあがり、世界からズレて、けっきょくは「滑稽な巨人」として七十七年の生涯をとじるほかなかった。以下、これまであまり語られることがなかったこれらの実験に眼を向けることで、かれの滑稽がもちえたかもしれない力の内実にふれてみたい

きわめてまっとうな本だった。「個人」と「国家」というところ。「国家」をもっといえば、薩長藩閥ともいっていた。なるほど。

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巻末、参考文献と索引が詳細。学術書みたい。ほんのあれこれ11(読書録)には画像で残しておく。