[NO.1337] 文学を探せ

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文学を探せ
坪内祐三
文藝春秋
平成13年9月15日 第1刷

この本を読むのは初めてではないはずだぞ、と何度も思いながら読了する。しかし、「日常」のページで検索をかけても出てこない。

初読の時にも感じたことを思い出した。坪ちゃんが本気になって「文学」に向き合っている。この時期、直球勝負のこんな仕事をしていたことに驚いた(初読時の感想)。表紙にも引用している「文学を必要としている人」と必要としていない人との違い。この視点面白し。適用できる範囲、広そう。

本書の最後の部分、新宿で殴られ瀕死の重傷という事件で終わる。なんだか出来過ぎ。このときの連れ、松田哲夫だったんだっけ......、って、昔読んだときも、同じことを思った記憶あり(笑)。

新鮮だったのが、江藤淳の扱い。文学を必要としている筆者にとって、江藤淳は間違いのない人なのだろう。

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カバーに引用されている部分、文学を必要とする人間と必要としない人間がいる。という名言に続けて、『辰野隆日仏の円形広場』出口裕弘著/新潮社刊 を紹介しながら、フランス文学が日本文学に中心として占める理由を説明している。

大正末以降の日本文学にはフランス文学の影響が浸み透っている。その源流が辰野隆だというのだ。
幕末から明治にかけて、日本に影響を与えたフランスの位置づけの説明が面白い。幕末にフランスは幕府方を支持した。そこで維新後には朝敵となる。フランスを経過した明治人(栗本鋤雲、成島柳北を挙げている)は新聞記者となった者が多い。維新後の日本でフランスは"官"の対蹠点になったというのだ。

p50
薩長→官→野暮、江戸→在野→粋という図式が成立し、日々に陰ってゆくその江戸の粋と、幕府に殉じて退潮していったフランスという国の華がひそかに重なりあう。そうした"好みの連合"が、明治期から中期、後期へと濃密化していったのではないか。
といった成島柳北らに続く文学的伝統の一番の大門が、もちろん、『ふらんす物語』(明治四十二年)の作者永井荷風であり、東大の法学部を卒業した辰野隆が文学部に入学し直した、つまり「実学から虚学へ転向」した理由は荷風の影響によるのではないかと出口氏は推測する(この推測はかなりの説得力を持っている)。

そして東大仏文の辰野隆門下生として3人を挙げている。三好達治、小林秀雄、太宰治。......ここを再読すると、初読時と比べてどうも説得力が今一歩弱まったな。