[NO.1301] 生命の記憶

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生命の記憶/海と胎児の世界
布施英利
PHP研究所
1997年3月27日 第1版第1刷発行

著者は三木成夫氏のお弟子さんだった方。まるでエッセイのような文体。

巻末に、おもしろい文章を見つけたので引用すると

おわりに
雑誌『現代思想』が「三木成夫の世界」を特集した号(一九九四年三月号)で、養老孟司先生が、哲学者中村雄二郎氏と対談し、「布施英利君なんかは三木さんに最も影響を受けた人間ですが、じゃあどういう影響を受けたかというと、自分でもまだよくわからないんじゃないですか」と発言しているのを読んだことがある。

ご本人は三木氏の「後継者」ではないともいう。影響を受けたという意味合いからいえば、お弟子さんなのだろう。

著者と三木氏とのやりとり、エピソードがなんともおかしい。
著者が大学院生のとき、風邪の治療のため、大学内の保健管理センターに行くと、所長である医師が診察をして薬を出した。そこでのやりとりや、学生たちによる医師にまつわる噂話も面白いのだが、それは割愛するとして、その後、個人的に医師の個室に呼び出されたのだという。なぜなら、その所長でもある医師こそが、著者の属する研究室担当教授である三木成夫だったのだ。

三木先生は個室の机上に置かれた顕微鏡を「覗いてみい」と言う。例の胎児の顔が見える。

「亀じゃ」
教授は唸るようにいった。それが亀の胎児なのか、あるいは亀に似た顔の、人間の胎児なのか、瞬間的には理解できなかった。
「これは亀の胎児ですか、人間のですか」
ぼくは聞いた。
「どちらも同じじゃ。この段階では、亀も人間もない。みんな同じ顔をしている」
結局、ぼくはそれが人間のものなのか違うのか、分からなかった。しかしその話題はそれで終わった。

まるで落語の世界。

三木氏が倒れる一年前に、養老孟司氏が1冊目の本を出版し、それが面白いと三木先生に伝えると、養老先生の解剖学教室へ行くことを勧められ、紹介状を書いてくれたのだという。東京芸大大学院から東大医学部へという経歴がユニークなのは、そのためなのだそうだ。
世界の海をフィールドワークすることが、その後の仕事だという。なんともはや。