[NO.1281] 月長石/世界大ロマン全集 12巻

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月長石/世界大ロマン全集 12巻
ウィルキー・コリンズ 著
中村能三 訳
東京創元社
昭和32年2月5日 初版

『深夜の散歩―ミステリの愉しみ』(昭和53年6月20日 第1刷発行)を読み返していると、丸谷才一氏の書いた「元版『深夜の散歩』あとがき」中に、以下の記述があった。

なお、『マイ・スィン』が「EQMM」に発表されるときは、一つ一つの文章が丸谷の先輩知友である探偵小説愛好者に献げられているが(たとえば『月長石』を論じたものが植草甚一氏に、という具合に)今回はその献呈の言葉を省略した。

ちなみに、『マイ・スィン』が「EQMM」に発表された期間は1961年10月号~63年6月号だという。まだ、JJおじさんのブームが訪れるよりも遙か昔のことだ。こうなれば、当然、本文も読み返したくなる。原題は「長い長い物語について」。またまた本文からいくつか抜粋すると、

(今度はじめて完訳が出た。東京創元社は歴史的出版を、少なくとも一つおこなったのである。)
【途中略】
こくのある、たっぷりした、探偵小説を読みたい人に、ぼくは中村能三訳の『月長石』を心からおすすめする。願わくば、一日も早く、同じ訳者によって『白い服の女』が翻訳されんことを。

丸谷才一氏はコリンズの特長としてユーモアを挙げている。ドイルやヴァン・ダインには欠けているユーモアの感覚がコリンズにはあるゆえに、人物に人間的魅力があるのだという。
ここで触れている『白い服の女』はその後1963年『白衣の女』として中島健二訳で岩波文庫から出版されている。まったく関係ないが、中学1年のときに初めて買った文庫本『宇宙のスカイラーク』(E.E.スミス著、創元推理文庫)が中村能三訳だった。

どうしてそんなことを思い出したのかといえば、そのころの本屋で並んでいた文庫の棚の中で一番分厚かったのが、この『月長石』だったのだ。......なんだか、JJおじさん風になってしまったな。思えば、あれから幾星霜。

......と期待しながらあとがきを読むと

わたしは、『世界ロマン全集』のために、この作品を半分にちぢめざるを得なかった。こういうことは、それが優れた作品であればあるほど難事業である。しかし、探偵小説として省略することのできない、伏線などはいうにおよばず、原作の味も可能な範囲でとりいれ得たと思っている。さいわいに、べつに、短編『人を呪わば』が採録されることになって、これは完訳することができたから、両方読みあわせていただければ、コリンズの原作の持つ味も、いくらかわかっていただけると思う。

仕方ない。ネットで取り寄せボタンをポチッとした。

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まず、短編『人を呪わば』から読み始めた。訳者の文体にもよるのだろうが、さほど古くさい感じはしなかった。重々しさもない。あらすじとしては簡単なもの。特徴は書簡体小説だったこと。これは本編『月長石』とも相通じるところがある。バルザックの小説のように、いきなり作者が割り込んできて長口上をふるうというような習慣に対する反動なのか?

で、本編について。
結局、ネットで購入した創元推理文庫版『月長石』と読み比べを始めようとしたのだが、途中から断念。出だしから三分の一程度まで読んだところで、届いた文庫版に移行してしまった。同じ訳者なので、何ともいえないが、それでもこちらの版ではばっさり切ってしまっている場面もあった。もちろん、本筋には支障がないところだったが。
この本の魅力は、枝葉末節というか、当時の風俗や人物描写などにあるともいわれているので、文庫版で読む方がいい。