読書欲・編集欲 津野海太郎 晶文社 2001年12月15日初版 |
著者の本を読むのはいったい何冊目にあたるのだろうかと考えてしまう。今でこそ大学の教員であり、出版に携わってきたベテランというイメージが大きいが、60年代にはあの「宝島」創刊にかかわったほどの若者だったのだから。いや、その後だってデジタル出版については最先端を走っていた。季刊雑誌「本とコンピュータ」だってこの人が興したのだ。
あとがきによれば、そんな津野氏が「80年ごろから編集と読書についてポツポツと書いてきた文章を集めた」のが本書だという。巻末に紹介されている初出一覧によれば、「図書」岩波の図書ですよ。「演劇書総目録」黒テントの演出家だった。「図書新聞」これはあたりまえ。「水牛通信」いや懐かしい。「すばる」いつ廃刊に? 「彷書月刊」古書好きにはたまらない。「世界」「東京人」「思想の科学」「言語」にだって書いていた。この幅広さが著者の特徴なのだろう。そして何よりも晶文社の編集者なのだ。興味の幅がとにかく広い。なんとも魅力的でしかたがない。
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編集者としての植草甚一
「こんどぼくらで『ワンダーランド』という新雑誌をだすんですが、植草さん、その重しみたいな役をひきくけてくださいませんか?」
高平哲朗といっしょに経堂駅前のマンションに植草甚一さんをたずねて、そう頼み込んだのだ、たしか一九七二年秋のはじめ頃だったと思う。『植草甚一読本』(晶文社、一九七五年)の年譜によれば、この年、植草さん六十四歳。高平二十五歳。私は高平よりも九歳上だから、もう三十四歳になっていたことになる。
これが載ったのが「彷書月刊」2001年のこと。すでに11年前になる。J・Jおじさんの興味は稲妻のように桂馬飛びをするのだと言われたが、津野氏の興味だってその後、マッキントッシュに飛ぶことになろうとは、当時予想もつかなかっただろう。そういえば、植草氏が生きていたら、PCとどんなつきあい方をしたのやら。PCといえば、橋本治は未だに持っていないし、さわることもないという。そういうお方もいるのだ。
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