小説世界のロビンソン 小林信彦 新潮社 1989年3月15日 印刷 1989年3月20日 発行 |
目次
序章 船出
第一部
第1章 下町の子の〈正しい〉読書
第2章 岩窟と地底の冒険
第3章 集団疎開と「夏目漱石集」
第4章 「吾輩は猫である」と落語の世界
第5章 「吾輩は猫である」と自由な小説
第6章 「吾輩は猫である」と乾いたユーモア
第7章 「吾輩は猫である」とフラット・キャラクター
第8章 〈探偵小説〉から〈推理小説〉へ
第9章 推理小説との長い別れ
第10章 「落語鑑賞」と下町言葉
第二部
第11章 遅いめざめ―1950
第12章 太宰治―マイ・コメディアン
第13章 フィールディング―〈散文による喜劇的叙事詩〉
第14章 ピカレスク小説―または〈人生は冷酷な冗談〉
第15章 1952年のスリリングな読書
第16章 物語の極限―「ラブイユーズ」
第17章 小説が古びるときとは
第18章 ワンス・アポンナ・タイムマシン―または〈退屈な〉私見
第19章 〈視点〉の問題
第20章 ロック元年の小説世界
第21章 未知との遭遇=〈大衆文芸〉
第22章 「富士に立つ影」と〈茫々たる時〉
第23章 古い〈大衆文学〉の衰退と〈エンタテインメント〉の発生
第24章 エンタテインメントの〈正しい〉姿
第三部
第25章 30年ののち―または〈物語〉のゆくえ
第26章 早過ぎた傑作「火星人ゴーホーム」
第27章 K.ヴォネガットの場合―SFから主流へ
第28章 ブローティガンの場合―「愛のゆくえ」について
第29章 J.アーヴィングの場合―〈物語〉の力と読者の関係
第30章 27年前の「『純』文学は存在し得るか」を読みかえして
第31章 いわゆる〈純文学とエンタテインメント〉をめぐって
第32章 「瘋癲老人日記」の面白さ
第33章 作家の誠実さとはどういうものか
第34章 新聞小説の効用
終章 とりあえずの終り
附章 メイキング・オブ・「ぼくたちの好きな戦争」
あとがき
装幀 平野甲賀
装画 吉田秋生
※発表誌 〈波〉一九八四年一月号~一九八七年十二月号
要するに今回の地震で本棚から落ちてきた中からの読書。上にupした画像は中表紙のもの。表紙はとっくの昔に紛失している。つまり、それだけ何度も読み返してきたことになる。計画停電でときどき灯りが消える中、ごろごろしながら通読。今回の停電読書の中でもっとも充実した本だった。
ほとんど内容を覚えていたのだが、前半の「吾輩は猫である」関連をもっと読みたかった。途中で、読者がついてこれないだろうと中断しているのが惜しい。以後、この続きは発表していないはず。後半は、思った以上に同時代の作家に言及している。さすが、アラーキー曰く「ポップ・アーティスト」であることを再認識。J・アーヴィングに言及していたことは記憶にあったが、K・ヴォネガットにここまで触れていたことは記憶になかった。映画から小説への影響として、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』について賞賛していたのはこの本だったとばかり思っていたのだが、見つからなかった。『本は寝ころんで』のほうだったかもしれない。
近年、小林氏のエッセイではこうした方面への言及は薄くなってしまっている。ここ二十年くらいの読書関連を発表して欲しい。
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