[NO.1143] 野草雑記・野鳥雑記

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野草雑記・野鳥雑記/岩波文庫
柳田国男
岩波書店
2011年1月14日 第1刷発行

p322
[編集付記]
本書の底本には、筑摩書房版『柳田国男全集』第十二巻(一九九八年刊)を用い、初版『野草雑記・野鳥雑記』(甲鳥書林、一九四〇年刊)を参照した。以下略

実によろし。柳田国男氏というのは文章がうまい。こうした随筆、いったん読み出すと、すらすらページが進む。文章が読ませるのだ。知人の祖父が、書斎にこの人の全集を揃えていたということを思い出す。むべなるかな。推して知るべし。民俗学者であると限定してしまうと、こうした側面を見失ってしまう。批判もあるが、この時代の知識人としてトータルに捉えれば、魅力ある存在であろう。
惜しむらくは、唯一旧字旧仮名遣いを改めてしまったこと。岩波文庫の難点。

おやっと思ったのは、この文体、どこかで目にしたことのあるような気がしたこと。しばらくして、気がついた。そう、山本夏彦による一連のエッセイだ。山本夏彦は文体の上で柳田国男から影響を受けていたのか。年代からいっても、あながち見当外れでもなさそう。特に「鳶の別れ」では、江戸を懐かしむ思いにあふれ、いっそう山本節を思わせる。あえていえば、山本氏のお師匠さんといった風格を感じる。
自分が影響を受けた(特に文体などどいう)ネタもとのような秘密は、決して表立っては明かさないものなので、今となっては確かめようもない。

そのほか、あれま、と気がついたこと。p242「村の鳥」の中、次のような表記を見つけた。
やっぱり雀かなア(ママ)というような次第で、
昭和10年代に柳田国男がこんな表現をすることもあるということに驚き。

野草雑記・野鳥雑記の共通する視点は子どもであろう。中には俳人がどう言っているとか、地方によってはどんな呼び名があるかなどとという記述も見られるが、もっとも頻度の高いのは子ども心からの見方である。
目次を見ただけでもわかるとおり、野草についてよりも、野鳥について書かれた分量の方が多い。その理由を考えていると、次の言葉に出合った。「小鳥の嫌いな少年もあるまいが」。なるほど、この時代ではそうだったのだ。少年にとって小鳥とは大好きな対象だったということは、現代からは考えにくい。一昔前まで、家庭で軒先に小鳥籠をつるしていたという光景は、日常ありふれたものだった。

p10
鳥は旧友川口孫治郎君の感化もあり、小学校にいた頃からもうよほど好きであった。十三歳の秋から下総(しもうさ)の田舎にやって来て、虚弱なために二年ほどの間、目白や鶸(ひわ)を捕ったり飼ったりして暮した。百舌(もず)と闘ったこともよく覚えている。雪の中では南天の実を餌にして、鵯(ひよどり)をつかまえたことも何度かある。雲雀(ひばり)の巣の発見などは、それよりもずっと早く、恐らく自分が単独に為(な)し遂(と)げた最初の事業であって、今でもその日の胸の轟(とどろ)きが記憶せられる。小鳥の嫌いな少年もあるまいが、私はその中でも出色であった。川口君の『飛騨(ひだ)の鳥』、『続飛騨の鳥』を出版して、それを外国に持って行って毎日読み、人にも読ませたのは寂しいためばかりではなかった。少なくとも私の鳥好きは持続している。この砧(きぬた)の新村の初期には、野は満目(まんもく)の麦生(むぎふ)であり、空は未明から雲雀の音楽を以(もっ)て覆われていた。それが春ごとに少しずつ遠ざかり、また少なくなって行くのに心づいて、段々に外へ出て鳥の声を求めるような癖を、養わずにはいられなかったのである。

さらに、著者が子どものころ兄の家に預けられていた利根川流域の農村では、小鳥を捕まえるのは少年の娯楽として至極当然のことだったであろう。

p209
初出一覧

野草雑記 『短歌研究』第五巻第四号、昭和一一年(一九三六)四月一日、改造社
蒲公英 原題「野草雑記」、『ごぎやう』第九巻第二号-第五号、昭和五年(一九三〇)二月五日-五月五日、御形詩社
虎杖及び土筆 原題「虎杖及び土筆(方言の小研究三)」、『民族』第三巻第五号、昭和三年(一九二八)七月一日、民族発行所
菫の方言など 『地上楽園』第二巻第七号、昭和二年(一九二七)七月一日、大地舎
草の名と子供 『愛育』第五巻第一号1第五号・第一〇号、昭和一四年(一九三九)一月一日-五月一日・一〇月一日、恩賜財団愛育会

野鳥雑記 『アルト』第四号-第六号、昭和三年(一九二八)八月一日-一〇月一日、紀伊国屋書店
鳥の名と昔話 『野鳥』第一巻第二号・第二巻第八号、昭和九年(一九三四)六月一日・昭和一〇年(一九三五)八月一日、梓書房
梟の鳴声 『家の光』第三巻第八号、昭和二年(一九二七)八月一日、産業親合中央会
九州の鳥 『九州民俗学』特輯号、昭和五年(一九三〇)一〇月八日、九州民俗学会
翡翠の歎き 『郊外』第六巻第六号、大正一五年(一九二六)五月一日、郊外社
絵になる鳥 原題「野鳥雑記(1)絵になる鳥」、『短歌月刊』第二巻第七号、昭和五年(一九三〇)七月一日、文芸月刊社
烏勧請の事 『東京朝日新聞』 昭和九年(一九三四)五月一三日-一六日、東京朝日新聞社
初烏のことなど 原題「初からす」、『大阪朝日新聞』 昭和五年(一九三〇)一月三日、大阪朝日新聞発行所
鳶の別れ 原題「市隠談片」、『経済往来』第一巻第四号、大正一五年(一九二六)六月一日、日本評論社
村の鳥 『きぬた』号数不明、昭和九年(一九三四)一月
六月の鳥 『文体』第二号、昭和八年(一九三三)七月一五日、文体社
須走から 原題「小河原鶸のこと」、『野鳥』第一巻第四号、昭和九年(一九三四)八月一日、梓書房
雀をクラということ 『南島研究』第二輯、昭和三年(一九二八)五月一〇日、南島研究会
談雀 『俳句研究』第六巻第二号、昭和一四年二九三九)二月一日、改造社

下記リンク、archives3 内のファイルを入力していて、知らなかった語の多かったこと。
たとえば、植物の莢蒾(がまずみ)。これなどは、まず、Shift-JIS では出せないので、UTF-8 表示にした。また、雨あげく なる表現。ググっても出てこなかった。