[NO.1131] ららら科學の子

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ららら科學の子
矢作俊彦
文藝春秋
2003年9月30日 第1刷発行

気になりながら読まないでいたら、いつのまにか7年もたってしまいました。たまたま、先に読みだした『傷だらけの天使~魔都に天使のハンマーを』が、途中で詰まらなくなってしまって、軽いつまみ食い気分でこっちの本へ移ったところ、今度はこっちの方が面白くなってしまいました。一気呵成。

p477 初出
本書は、『文學界』一九九七年六月号~二〇〇一年十一月号までの連載をもとに加筆したものです。

18歳で1968年に中国へ密航した主人公が30年ぶりに帰国したところから話が始まります。ふと、この空白の年月について考えてみました。たとえば1938年~1968年と比べると、同じ30年間でも、1968年~1998年の30年間というのは、いかにその内容の異なることか。戦前から戦後にかけての激変ぶりと、高度経済成長以後のまるでのっぺらぼうのような歳月。
金太郎飴のように変わらなかった部分もあるけれど、当然変わってしまったことだってないわけじゃない。作者がもっとも伝えたかったのは、そのところなんだろう。彼らにとって激動の時代だった60年代末と比べ、1998年のふぬけたような時代とはなんなのだ、と。やっぱり、そこが......新鮮なのかなあ? どうだろう。

うーむ、この本は、むしろ文革についての啓蒙書だったのかもしれない。

おやっと思ったのが、カート・ボネガット『猫のゆりかこ』が出てきたこと。主人公が中国へ出国するにあたって、小学生の妹から贈られたという設定。自分でも愛読書であっただけに、唐突にこれが出てきたことに戸惑いました。調べてみると、1968年が初版の出版年。主人公の出国時と一致。
それと、この妹との別れの場面が何かに似ているような。小学生の彼女に贈る本を探して銀座の本屋を回るくだり。そうですよ、まさしくこれは『赤頭巾ちゃん気をつけて』に出てくる、あの女の子だよね。ここは、ほぼ間違いなく矢作俊彦が意図的に仕組んだところだろう。なぜなら、その女の子と一緒にさがす本の題名は『赤頭巾ちゃん気をつけて』(しかも場所は同じ銀座なのだ)、対する本作では『点子ちゃんとアントン』。どう考えたって、この対比は偶然じゃないでしょう。あーあ。