[NO.1119] 小沢昭一がめぐる寄席の世界

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小沢昭一がめぐる寄席の世界
小沢昭一
朝日新聞社
2004年11月30日 第1刷発行

初出、『論座』(2003年6月号~2004年5月号)に「小沢昭一がめぐる寄席の世界」として掲載。

12人との対談集。出版社サイトに目次付の紹介あり。こちら

p14 桂米朝
私の場合は、戦後、まだ旧制中学生のころだったんですが、それよりも前、戦争中に東京の大学へ来ておられた米朝さんが、やはり同じような思いで正岡容に単身、近づいていかれた。「お前より先に兄弟子がいるんだ」というふうに言われまして、それで初めて米朝さんの存在というものを知ったわけです。その後おつきあいが少しずつ重なるにしたがって、当時、バラック住まいの私の家なんかにも来て泊まっていただいて、そして夜、寝ながら、上方の芸能や芸人のおもしろいエピソードを次々に伺って、寄席の世界へのあこがれを一層強くつのらせたことが、とてもうれしい思い出として残っています。あのころの寄席への好奇心を再びよみがえらせるためにも、米朝さんのお話をまず伺いたかったのです。

米朝師匠が小沢昭一にとって、正岡容の兄弟子だったとは。それもまためぐり合わせ。

p223 北村幾夫(新宿末廣亭席亭)
北村 途中略 二階からちょっと楽屋をのぞいただけで、圓生師匠まだ入ってないなとか、正蔵師匠来てるなとか分かりましたね。
小沢 何かピリッとした空気が出てくるんですかね。
北村 それはもう今の比ではなかったですね。よくも悪くもやっぱり(立川)談志師匠が引っかき回し、(月の家)圓鏡さん(現・橘家圓蔵)、(林家)三平さんがにぎやかにしていくというところで、だんだん楽屋の雰囲気も変わっていきました。

いいなあ。楽屋の雰囲気を変えた3人として挙げられているところ。よくも悪くも談志が引っかき回し、圓鏡と三平がにぎやかにしていったという。

p274 矢野誠一
現実に、人生でよく出合うことだものね。
何年か前になるけど、(春風亭)小朝が非常に盛り上がっていたころ、「小朝をどう思います?」と聞かれたんですね。今から思えばずいぶん気障(きざ)なこと言ったとおもうけど、「うまいとは思うけど、こちとら文楽、志ん生から人生教わってきたんだ。いまさら小朝ごときに人生を教わりたくない」と答えたんです。おこがましいけど、やっぱりなにかそういうところはあるし、それを大事にしたいじゃないですか。

小朝ごとき......。

12人中で、一番読み応えのあったのが「あした順子・ひろし」との対談。このお二方の漫才も、あと何年見られるのだろうか。