[NO.1118] 飛行機のスタイリング

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飛行機のスタイリング
佐貫亦男
グリーンアロー出版社
平成8年3月10日 第1刷発行
平成10年3月10日 第4刷発行

初出は月刊誌『航空ファン』1993年4月号~1995年3月号

各機の平面図・側面図が載っている。小さいのが難。拡大コピーしたくなる。あとがきに各機のスタイリングを著者による主観で論議したとあるように、実に闊達な文章。

佐貫氏の飛行機関連書は子どものころ愛読したもの。久々。文章、面白し。ずけずけとそんなこと書いてしまっていいの? という内容もあり。そこがまた著者らしさか。たとえば、第2次大戦中のイタリア機を評してのところ。

p208 なめられたイタリア機
ここでイタリア機のスタイリング傾向を眺めてみよう。古いズバの設計ポイントは強行高速偵察で、その目的にはよく適合した形態であった。胴体の幅は狭く、操縦者はちょっと体を動かせば充分な下方視野が得られた。前方もエンジンが直立六気筒だから、やはり視野はよい。
ただ、機体がいかにも細くて長いので、構造上の不安がある。しかし、日本まで飛んできたのだから、ひよわではなかった。そうすると、ズバの細長いスタイリングはイタリア人の好みで、ちょっとほかでは真似できない。これは甘い個性ではなくて、苦い個性である。
第二次世界大戦まで使ったフィアットC・R・42ファルコなどはスタイリングこそよかったが、真の技術開発を含んでいなかったから、技術史に残る資格はなかった。また私が賞賛したマッキC・200サエッタだって、うまいスタイリングだが、其のプロらしい殺し屋ではなかった。この原因は、イタリアの航空技術が本格的な発展を完成せず、たぷんに見せかけの要素を含んでいたからである。
第二次世界大戦前のイタリア航空の外観はすばらしく、とくに速度記録などは華々しかった。しかし、いよいよ大戦の実戦本番になったら、ハタハタとベテランたちが戦死または捕虜になると、あとに続く者はなく、しーんとなってしまった。イギリスなどはその気配を察して、おや、レジア・アエロナウティカ(イタリア空軍)はいまどこにいるかな、とほざいて見せた。
これは二軍の無いプロ野球チームみたいなもので、一軍選手がけがなどで脱落すると、あとはポカリと大穴が開いたままと同じだ。航空捜術の本格的発達がなく、空軍も真の充実でなかったから、芝居の書き割りみたいに、見たところ壮大だが、裏をのぞいてみると、板につっかい棒だけだった。
これはイタリア人が悪いというよりも、国力の低さによるものであった。エチオピアぐらいといっては悪いが、その程度の戦争で外貨を使い果たしてからっけつ(無一文)に近かった。まだしも日本のほうが、アメリカに汗をかかせるぐらいの力を持っていた。
マッキC・202フォルゴーレなどは一流機だが、数がそろわなかったから、連合軍から、たったそれだけか、勝負にならないな、と憐(あわ)れまれた。これではおしまいだ。

見て良し、読んで良し。