一九七二/「はじまりのおわり」と「おわりのはじまり」/文春文庫 坪内祐三 文藝春秋 二〇〇六年4月10日 第1刷 |
初出
「諸君!」2000年2月号~2002年12月号
単行本 2003年4月 文藝春秋刊
ギックリ腰で寝込んだ間、こればかり読んでいたら、息苦しくなってしまった。連合赤軍のくだり、たまらない。
そこを越すと、はっぴいえんどと頭脳警察との対比が出てきて、やや気が晴れた。はっぴいえんどのマネージャー石浦信三氏が頭脳警察のぱんたさんに声をかけたというところ、なるほどと肯くばかり。両者は互いに車の両輪みたい。
ツボちゃんのリアルタイムでわかっていたことと、後からお勉強して仕入れたことが、どこからどこまでなのか。そこがどうもあいまいで気になる。
※ ※
変わってしまったこと(もの)と変わらなかったこと(もの)
最終回 二〇〇二年十月に読む『世界』一九七二年十二月号 を読み、一番納得した。
旧日本軍兵士横井庄一さんがグアム島で発見され、28年振りで日本に帰国したこと。そのことと北朝鮮に1978年から2002年まで拉致されていた蓮池薫さんが24年経って帰国したこととを対比している。
横井庄一さんが招集された1944年から帰国した1972年までの28年間の中で、終戦から復興、さらには高度成長を経て、日本人がとても大きな変貌を遂げた。「その間に幾つかの大きな転換点があり、あまりにも長かった。つまり歴史が単純に連続していない。/それに対して一九七八年から二〇〇二年に至る二十四年は(もちろんその間にバブル景気やその崩壊などはあったものの)、基本的に一つの色合いで、続いている。だから、一九七八年は、ついきのうのように思える。」
本書の第1回なぜ、この年なのか の中で、歴史意識という言葉を出しながら書いていることと付き合わせると、なんともはや。福田章二氏のいう触れてはいけないことが見えてきそう。
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