[NO.1114] 定年なし、打つ手なし

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定年なし、打つ手なし
小林信彦
朝日新聞社
2004年4月30日 第1刷発行

タイトルは自由業者にとっては定年がないという小林信彦氏の口癖からでしょう。

目次
第Ⅰ部 定年なし、打つ手なし
定年なし、打つ手なし
〈定年〉て、あるんだ!
架空の〈計算〉
できれば避けたい不安の連続
〈うつ状態〉の中で
〈楽しい老後〉と〈老後の準備〉
打つ手――生き抜く方法

第Ⅱ部 趣味がなければ生きられない
本を読む楽しみ
色川武大――なくってもなくってもよいもの
山田風太郎と〈うめき声〉
何といっても谷崎潤一郎
明晰の美を追って
山本夏彦の〈覚悟〉
御伽草子
『楡家の人々』の年
同時代の一読者から見た三島由紀夫
三島由紀夫についてのアンケート
信用できた人
〈危険な本〉のすすめ
不幸な時代の読書
笑いの世界へようこそ
なぜ〈笑い〉にこだわるか
横山やすし、という存在
〈江戸前〉の系譜――吉川潮『江戸前の男』を読む
爆笑問題の問題
テレビにとって〈笑い〉とは何か――ナンセンスの発想

第Ⅲ部 平成から見る昭和
スターダスト・メモリーズ
川のそばで起こること
東京下町・和菓子屋の百年
原初の風景――または、文化装置としての自己
一少年が愛した女優たち
45回転の青春
早すぎた奇想天外喜劇
あらかじめ組み込まれた死
二十世紀最後の夏
サリン事件と「ナポレオン・ソロ」
「一九九二年と一九九六年の差」
週末もどき・二十一世紀望見
法律のプロとアマ
ジャパニーズ・パパラツィ
空襲用の黒い遮蔽幕
二十世紀最後の夏
〈視聴率〉なんかこわくない

あとがき

本当は初出誌も抜き出そうかとしたのだけれども、一編ごとに異なっているので、さすがにあきらめてしまった。目次を見るとわかるように、それぞれのテーマに沿って編集してある。したがって、初出誌もまちまち。

p92 山本夏彦の〈覚悟〉から引用
ぼくだって、氏が銀行や消費税を斬るのを読めば、胸がすっきりする。すっきりするから人気があるのだろうが、ぼくが心から(そうだ!)と思うのは、もう少し別なところだ。
たとえば、
〈浅草の客は昔は多く住込の小店員だった。〉 (『銀座百点』)
という一行がある。この一行の意味を人は噛みしめているかどうか。
戦前・戦時の浅草は奉公人の天国だった。その一事がわからないと、浅草という盛り場がなぜ栄えたかが理解できない。
下町大空襲で商家はなくなった。小店員たちの多くは戦争に行った。そして戦後、小店員たちの住み込む商家がなくなったので、浅草は寂(さび)れたのである。
もっとはっきりいえば、ふだん殴られたり小突かれたりしている小店員(当時の言い方だと小僧さんか)たちがウサを晴らす場は浅草しかなかったのである。映画、実演、安い食べ物。
商家は株式会社になり、小店員はサラリーマンになった。サラリーマンは浅草に足を向けない。
浅草の人たちはその事情がわかっていない。だから、ブラジルのダンサーたちを呼んで、カーニバルだなどと言っている。だが、それによって浅草に大衆が戻ってきたことはない。

浅草について、山本夏彦氏を引いての説明。本当はこんな当たり前のこと、書きたくもなかったのでしょうが。
この頃と比べると、浅草に人が増えてきたのはなぜ?

p101 『楡家の人々』の年から引用
函に印刷された三島由紀夫の文章は、推薦文としては長いものだが、単に推薦にとどまらず、日本文学についての痛烈な批判にもなっている。この原稿のために読みかえしてみたが、見事な名文である。
その文章をさらに要約すれば――。
1 戦後に書かれたもっとも重要な小説の一つ。
2 日本文学最初の〈真に市民的な作品〉=小説というものの正統性(オーソドクシー)
3 不健全な観念性をみごとに脱却している
4 ユーモアに富む
5 一脳病院の年代記が日本全体の時代と運命を象徴する
6 〈自然の崇高な美しさ〉の感動

久しぶりに『楡家の人々』に触れている文章を目にした気がする。

p127 なぜ〈笑い〉にこだわるかから引用
日本文学における〈ユーモア〉が抑制されたもの、というのは、ある種のイメージであり、大正以降のことではないでしょうか。
ここで、夏目漱石の『吾輩は猫である』を持ち出します。いつかこの小説を読みかえして、江戸落語との関係をしつこく書いたところ、長くなり過ぎる、と編集者に注意されました。注意されたので、そこで打ち切ったのですが、それでも長すぎたとみえて、その評論『小説世界のロビンソン』は某新潮文庫で品切れになっております。だから、文庫本の何章を読んでください、というわけにいかないので、要点だけを書きます。
『吾輩は猫である』は読めば読むほど面白くなる文字通りの〈笑いの文学〉ですが、これが面白いというのはぼくの年代までか、甘くみて五十前後の人たちまででしょう。その理由は、江戸落語の素養がなかったら、この作品の〈滑稽的美感〉を味わうことはほぼ不可能だからです。読者の〈滑稽的美感を挑撥する〉技を漱石がいくら使っても、若い読者はポカンとしているはずです。(このごろの『猫』にはしばしば多くの注がついていますが、注を読んで笑うのは、喜劇映画のギャグを説明されて笑い出すのと同じです。)
この小説に限っていえば、英文学と漢学の関係はまあまあで、なんといっても江戸落語を聴き込んだ素養が作品の根っ子になっています。英文学は外側にぶら下って、笑わせるための武器の一つでしかない。(いうまでもなく、英文学者としての漱石はスウィフトはもちろん、スターンからフィールディングまで、笑いのあの手この手を知り尽していたのですよ。念のため。)
もう一つ、興味探いのは、手探りというか、初めの方では〈誰にでもわかるギャグ〉(ぼくの用語でいえば〈捨てギャグ〉)を用いていることです。
美学者が西洋料理屋に入って、ボーイにトチメンボー(俳人の名前)を注文する。メンチボー(ル)といわずに、わざとトチメンボーと言ったのですが、ボーイは混乱して、近頃はトチメンボーの材料が払底しております、と答える。このやりとりはかなり長いのですが、ギャグとしてはそう上等なものではない。
こうした笑いのすぐ後に、レヴェルを上げたギャグが出てくるのが、『猫』の凄いところ」だと思います。
ものごころがつくかつかない頃にすでに落語が家の中にあった特殊な環境に育った人間の言うこととして受けとって頂きたいのですが、〈笑い〉は定義したり、ブッキッシュに扱ってはいけないと思っています。
東京オリンピックの頃ですが、有望な若手落語家に自著を贈られました。その本自体は非常に真面目なものなのですが、中に、落語とは人間の業(ごう)の肯定である、といった一行がありました。正直な話、これは困ったな、と思った。評論家なら何を言ってもいいのですが、演者がそんな風に理屈付(づ)けをしては困る、五代目古今亭志ん生は「お直し」をそんなことのために(「そんなことのために」に傍点)熱演したのではない、というのがぼくの思いでした。そして、この〈業の肯定〉説(べつに間違ってはいないのですが)は〈言葉〉として、ベビー・ブーマー世代にひろがったわけです。
ベビー・ブーマー世代、日本では全共闘世代といいますが、この世代にとって落語はなんとなくそこらに存在しているもの(「なんとなくそこらに存在しているもの」に傍点)ではなく、〈お勉強〉の対象となったようです。(岩波の全集版『吾輩は猫である』に注が付いたのは一九六五年、これまた〈お勉強〉の対象となったわけです。)
さらに、六〇年代末から七〇年代前半にかけて、学者や作家が、本来は感覚のものである〈笑い〉を〈研究〉しょうとし始めます。まあ、ノーマン・カズンズのように、笑いで病気を治そうとした例(『笑いと治癒力』岩波書店)もありますが、ぼくにはそれ自体が喜劇のように見えました。
〈学者は高座(「高座」に傍点)をおりて講座(「講座」に傍点)に戻れ!〉
当時、そんなことを書いた記憶があります。
〈笑いが知的ブランドになる不健全さ〉
もっとも感じたのは、これです。
そうした〈研究〉の一方に、ぼくの小説を読んで、「これは単なるギャグじゃないですか」という〈純文学〉編集者がいるのですから、この世界はやりにくい。(ぼくはギャグを書いたのですよ、念のため。)
つまり、文学活性化のために〈笑い〉はとり入れたいが、〈ギャグ〉はいけない、というわけで、こうした考え方が観念的であるのは言うを俟たないことです。
学者に限らず、東京オリンピック以降は、若い世代にとって〈笑い〉がわからなくなった時代です。もっとも、その前だって怪しいもので、例えば、プルーストの大長篇の中盤からあらわになる人間観察の意地悪さ、滑稽感、笑いについて、ぼくに共感してくれる人はまずいなかった。大学を出てからざっと四十年ですが、その間に話が通じた人はたった一人。もっとも、その人は東大でプルーストを専攻したのですから、当り前かも知れません。

これが面白いというのはぼくの年代までか、甘くみて五十前後の人たちまででしょう。とあるが、この初出は『新潮』1996年8月号なので、すでに14年が経っている。したがって、『猫』が面白いというのがわかる落語の素養がある年第というのは65歳前後ということになるのだろう。なんともはや。
このあと、『唐獅子株式会社』成立の過程が紹介されているところも、なかなか面白し。長くなるので、引用は中止。