昭和が遠くなって/本音を申せば 小林信彦 文藝春秋 2007年4月25日 第1刷発行 |
ヤスケンこと安原顯氏の毀誉褒貶については耳にしてはいたけれど、作家から預かった原稿を古本屋に売り渡していたという事実には唖然とするのみ。しかもそれが「海」編集者時代のこととあっては。
村上春樹氏の原稿流出事件も話には知っていただけで、それがまさかヤスケンのやったことだったとは知らなかったな。
※ ※ ※
p12
田中優子さんの「江戸を歩く」(集英社ヴィジュアル文庫)は、石山貴美子さんの写真と共に、江戸が自ら成り立っているのを現在から立証したものだが、昨年暮れの読書の中でも興味深いものであった。花街と川と死という三つが、江戸=東京と切り離せないものであるのもわかる。
こりゃあ、次の課題図書に選ばねば。
p112
東京散歩というものが流行っている。
途中略
そのせいか、休日には、リュックサックを背負った中年以上の男たちが街歩きをしているのが目立つ。そのための雑誌も出ている。
ぱらぱらとめくってみたが、あまり役に立ちそうもない。なんとかウォーカーといった雑誌と変わらない。
ぼくが見たのは、〈日本橋・人形町〉特集の号で、この地域は、ただ歩いてもつまらないのである。過去へ、歴史の中へ踏み込むようにしないとガイドが成立しないのである。表面的に食べ物やを案内しても駄目なのだ。
中央区の半分――旧日本橋区を〈歩く〉単行本、雑誌のたぐいが成功しないのは、そのせいである。そして、この地区は、ガイド誌流にいえば、〈東京の真ん中、いや日本の真ん中〉にあたるので、そこがたよりない(「たよりない」に傍点)のは、情報として情けないことになってしまう。
生まれ育った街について、的確な指摘。
デビュー時、親しかった萩本欽一氏について述べている中での記述から、抜粋
p165
からはまた、ぼくにこうも言った。
〈まえに(数年前)、ギャグの話をした時、あなたは目を輝かして語ったの。いまは、もう、そうじゃない。熱っぽくないのね。〉
これも鋭い。
喜劇人や彼らの演じるギャグを鑑賞するのは特殊な行為である。それは、創造とは正反対のものだ。そして、ぼくが「うらなり」その他を書いたのは、そういう、もう一人の自分を切りすてたからである。
切り捨てた「もう一人の自分」とは?
あとがきから抜粋。
ぼくの「週刊文春」連載エッセイはこの本を入れて九冊になります。
参考までに記せば――。
1「人生は五十一から」(文春文庫)
2「最良の日、最悪の日」(文春文庫)
3「出会いがしらのハッピー・デイズ」(文春文庫)
4「物情騒然。」(文春文庫)
5「にっちもさっちも」(文春文庫)
6「花と爆弾」(文春文庫'07年5月刊)
7「本音を申せば」(文藝春秋)
8「昭和のまぼろし」(文藝春秋)
9本書(文藝春秋)
一九九八年(平成十年)から二〇〇六年(平成十八年)までのクロニクル(年代記的)時評群です。
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