[NO.987] 東京散歩 昭和幻想/知恵の森文庫

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東京散歩 昭和幻想/知恵の森文庫
小林信彦
光文社
2005年3月15日 初版1刷発行

バブル終焉後、街並みが破壊され、『まともな嫌悪感』が失われてしまった。電車の中で平気で化粧をする女子高生、なんにでも笑う観客、弱者への見当ちがいのバッシング。著者の時評から浮かび上がる「平成の現代史」は、鋭い時代観察眼に基づいている。失われていく東京と昭和にどう向き合うかを考えるエッセイ集。 「BOOK」データベースから 

 読者にとってはお得な一冊ではないでしょうか。というのは『日本人は笑わない』に加除追加をして改題したものなので、世評では芳しくないようですが、改めてじっくり『日本人は笑わない』も読み直せたし、さらに日記などの追加も読めたのは幸い。しかも、巻末解説が中野翠氏とあっては、むしろもうけものでしょう。

p231
 「大曽根(おおそね)家の朝(あした)」
 ごく一般的な見方として、(戦前)は暗い時代であり、(戦後)は明るい、という風にされている。この見方にぼくは反対するものではない。
 若い人といっしょにビデオをみた。一本目は一九三七年(昭和十二年)の「婚約三羽烏(がらす)」。人絹会社の社長がショウルームの客寄せに三人の二枚目青年をやとうノーテンキな話で、当時のトレンディ・ドラマ。バックに流れる音楽は「シカゴ」「セントルイス・ブルース」で、明らかにアメリカ映画を真似たモダニズムだ。この〈戦前〉の表面的明るさに、若い人はびっくりする。日中戦争が始まった年でも、この程度の明るさはあったと、ぼくは幼年時代を想い出して思う。
 時間が余ったので、もう一本みることにした。一九四六年(昭和二十一年)の「大曽根家の朝」である。事情があって、ぼくは昔みていなかったのだ。
 この作品で、木下恵介(けいすけ)監督は、太平洋戦争末期の日本の家庭、空襲、敗戦による解放を、一軒の家の中だけで描いている。はっきりいって凄(すご)い映画である。ぼくはショックをうけた。
 しかし、若い人のショックは別なものだった。アメリカニズムのきらびやかな世界のわずか九年後に、無謀な戦争、敗戦による悲惨さがあったからである。
 そう、九年あれば、なにがおこってもおかしくない、とぼくは思った。とくに、一つの方向に走り始めたら、他人の声に耳をかさなくなる日本人の場合、どんなことがおこるかわからない。
 ぼくは戦前のアメリカニズムをかすかに記憶し、軍国主義教育をうけ、中一のときに敗戦を経験した世代の人間である。そのころ、二度とくりかえすまいといわれた、ことが、今は堂々とまかり通っている。もう一度、「大曽根家の朝」の世界に突入するつもりだろうか。


 最初に『日本人は笑わない』を読んだときには随分政治に対し悲観的だな、という印象をもったものでした。で、いま考えたことはといえば、今年は平成22年。そういえば、平成16年から何年経ったのだろうか、ということでした。平成を昭和に置き換えれば、(戦争が終わって)戦後2年目の昭和22年。時間軸を平行移動すると、なんともはや。九年あれば、なにがおこってもおかしくない