1Q84_BOOK1〈4月-6月〉 村上春樹 新潮社 発行/2009年5月30日 6刷/2009年6月20日 |
1Q84_BOOK2〈7月-9月〉 村上春樹 新潮社 発行/2009年5月30日 4刷/2009年6月17日 |
駆け足の4日間で読了。平日だったため、なかなか大変だったところも。おかげで風邪を引いて辛かったという余録つき。
物語の終わり方、なんだかすっきりせず。まるで短編小説のように唐突。とりあえず出だし、伏せられていた事項はみせてもらえたけれど。最後に青豆さんと繰り広げられる教団のリーダーの言葉、なんだか予想外だったな。自分を乗っ取られてしまったという設定、まるで『羊を巡る冒険』の鼠に重なるよう。自分を消滅させることで反撃するなんて。
編集者小松さんは結局どうなったのか。弱いところから攻撃されるというから、強そうな小松さんは生きているのかも。で、この人の口癖「なるたけ」ってのは、妙に耳に残る嫌いな言葉。小松さんの台詞の中に頻出。
以下、その代表例。
p101「書き直した原稿をなるたけ早く、応募原稿の山の中に戻さなくちゃならない。」
p120「人並み以上に頭の切れる人間はできるだけ大統領にならないように努めているのかもしれない。」→この地の文では「なるたけ」ではなく「できるだけ」を使用しているので、村上氏が意識的に小松さんらしさを出すため「なるたけ」を使用しているのでしょう。
p123「なるたけ早く『空気さなぎ』の書き直しを始めてもらいたい。」
そのほか気になった言葉遣いのひとつが「なのに」。その昔、「なにげに」が流行ったとき、極度に嫌悪感を催したけれど、この「なのに」というのも、それほどではなくとも嫌な言葉のひとつ。台詞ではなくとも、青豆さんのモノローグなので敢えて使ったのだろうという解釈もできるけれど。
p14「なのに運転手の名前を記した登録票はどこにもない。」
p16「なのにその音楽の冒頭の一節を聞いた瞬間から、彼女の頭にいろんな知識が浮かんできたのだ。」
p16の方は地の文なので、著者自身の言葉。
こうした言葉遣いを些末なこととしてしまうと、『キライなことば勢揃い』著者高島俊男氏がかみつきそう。
相変わらずの教訓好きなムラカミさん。
p124
「勘だよ」と小松は言った。「俺にはそういう勘が働くんだ。何によらず才能みたいなものは授かっていないみたいだが、勘だけはたっぷり持ち合わせている。はばかりながらそれひとつで今まで生き残ってきた。なあ天吾くん、才能と勘とのいちばん大きな違いは何だと思う?」
「わかりませんね」
「どんなに才能に恵まれていても腹一杯飯を食えるとは限らないが、優れた勘が具わっていれば食いっぱぐれる心配はないってことだよ」
最後に、こんな言葉遣いは当時、なかったぞという例。
p454
「でも『空気さなぎ』はもともと君の物語だ。君がゼロから立ち上げた物語だ。......」
この「立ち上げる」。嫌だなあ。「NPO組織を立ち上げた」のような使用例、いったいいつ頃から使われ始めたものなのか。
PCが普及し始め、それもWindowsが広まってからのように記憶しています。DOSの時代にはあったっけ? もっとも1Q84の世界といわれてしまえばそれまでだけれど。
『風の歌を聴け』からちょうど30年、と聞いて驚き。ほんのついこの間のような気がして仕方なし。ムラカミさん、30年間も小説を書いてきたのですねえ。勤続30年。
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