[NO.968] キライなことば勢揃い/お言葉ですが(5)

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キライなことば勢揃い/お言葉ですが(5)
高島俊男
文藝春秋
2001年2月20日 第1刷

 p41手紙時代の終わり」冒頭
 毎日手紙を書いている。これではまるで手紙を書くために生きているようなものだなあ、と思うことがある。
 好きで書いているわけではない。はなはだおっくうなのである。ただ旧弊の老人だから電話で用をすませるというのがどうしてもいやで、やむなく手紙を書くのである。

途中略
 自分はこれまでにどれくらい手紙を書いたか計算してみたことがある。もとより正確な数が出てくるはずもないが、まず六万通より多く八万通よりすくない、というくらいのところらしい。
 この6~8万通という数字、多いと感じるのが一般的でしょう。そこから漱石をはじめ文人たちの手紙について話は発展していきます。「漱石は生涯に二千通を超す手紙を書いた」と新聞コラムにあり、笑っちゃったことがあるとも。漱石全集に収められている手紙の数がそのくらい。それでもコラムの筆者には二千という数を多いと感じたことから、こうした勘違いが生じたのだろうという高島氏の推測。

 手紙というものは残らないもの。(漱石はときどき庭先で手紙を燃やしたという)。したがって、全集等の書簡集に残ったのは、ごく一部にすぎない。ところが、現代人にとっては、そのごく一部でさえ、多いと感じてしまうのだとも。かくして、「手紙時代の終わり」なのだそうです。

p35
 おなじく近刊の『学研現代新国語辞典』が「ふれあう」を立てていて、「たがいにわかりあったような気持ちになる」と説明してあった。これは傑作だ。筆者の「嘘っぽいことばだ」という皮肉な判断がよくあらわれている。
 一度読者諸賢の「ちかごろキライなことば勢揃い」をやりましょうか。


p37
キライなことば勢揃い
 まずは数の多いものから。
〈させていただきます〉
〈じゃないですか〉
〈あげる〉
〈いやす〉もしくは〈いやし〉
〈な〉

 最後の「な」には抱腹。これって、練習しないと使えるようにならないのでは。たしかに、当時、ある会合で司会者から目の前でこれを言われたとき、とんでもない違和感を覚えたものです。いい大人が、何を言ってるんだ? と。
 追加されている〈思います〉は、はるか昔から話題に上っていました。

 本書の出版が2001年。初出はさらに以前のこと。時代を感じます。取り上げられてから、一気に廃れていくことばが多い。いわゆるはやり言葉の一種なのでしょう。

 はやり言葉とはすこし違うものの、「話し方」として一時的に流行して、その後廃れていく短命なものとして、「......です」の「です」に妙に力をこめる話し方。いやあ、4~5年前に初めて聞いて、びっくり。その後、これを使うかたにはどきどき出会いました。

 ことばの話題で一番面白かったのが、次に挙げるp237書きたまったのだあれ」。
 「のたまった」「のたまわった」「のたもうた」の三種。さて、この中で正しいものは、どれ?
 いやあ、このあとの展開がスリリング。
p240
 ......とここまで書いてから、岩波国語辞典の「のたまう」の項をのぞいてびっくりした。「おっしゃる」と釈したあと、こうある。
〈「宣(の)り給(たま)ふ」の転。「そんな事のたまっていいの」のように、からかう場合もある。〉
 ひどいねこりゃ。この辞書を実質的に作ったのは水谷静夫センセイだそうだが、この「のたまって」、センセイ御自身が「書きたまった」のだろうか。それとも助手が作ったのを「見のがしたまった」のかな?

 このあとに続く、後日譚もなかなか。

p243
 誤訳と言えば、古賀正義先生の『推理小説の誤訳』(サイマル出版会)、これはおもしろいよ。版元つぶれちゃったらしいけど。