[NO.959] せがれの凋落/お言葉ですが(三)

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せがれの凋落/お言葉ですが(三)
高島俊男
文藝春秋
1999年1月30日 第1刷

 高島氏の役割は(あくまでも個人的にです)、今や戦前の文化が途切れそうになってきている現在、当時では当たり前すぎてほとんど書き残されていないような事柄を、こうして文字にして残してくれているところのような気がします。つまり、『誰か「戦前」を知らないか』と呼びかけていた山本夏彦氏のような。
 そうして、本書に出てきた次のようなところ、なるほどと頷くばかり。

p84
「最と」は「いと」である。(途中略)
 もちろん、、「いと」などというものは純然たる和語なのだから、かなで書けばよいのである。しかし昔の人は(特に男子は)要もないところまでむやみに漢字で書く習慣があった。感心したことではないが、事実としてそうであった。「いと」には「最」または「甚」をあて、誤読をふせぐために「と」をつけて「最と」あるいは「甚と」と書いたのである。
 そういえば、戦前の柔らかい読み物などには、こうした漢字の使い方が多数みられたもの。それを出版社の校閲部が間違えた手直しをしてしまう、というのですね。で、ここで止めておかずに、他にもこんな間違えられた例があるぞ、と具体的に指摘するところが、高島氏らしいところ。
 平凡社東洋文庫『北京籠城他』は、いたって校訂の粗雑な本である。これにおさめる服部宇之吉の北清事変回想記、大正年間の原本にこういうところがある。
 として、具体的に指摘。しかし、その後日談があるとも。
 なお平凡社東洋文庫の名誉のために言っておくと、同文庫はその後、極力手をつけない方針に転換したようです。だから近年刊行の同文庫の本文は信頼できる。あいかわらず乱暴に手を加えているのが岩波文庫ですが、これについてはまた別の機会に申しましょう。
 だそうです。

 この次に展開している「本に小虫をはわせる」として、ルビの間違った使い方が続きます。原因はワープロの誤使用だろうとか。杉森久英著『明治天皇』学陽書房人物文庫上下二冊がその例。「あの弱虫の公家共が、昂然と頭を上げて、刃(「やいば」にルビ)向かってくる」。こりゃあ「はむかって」であろうとのこと。
 で、後日談。
版元の編集第三部長というかたからていねいなお手紙をいただいた。「まことに汗顔のいたり」といういさぎよいものである。
 ここでいう、いさぎよいものであるが氏の特徴ですね。別のところで述べている戦後民主主義の対極とでもいいたいところか。

 しかし、この後に続く「日本の辞書は甘い」が圧巻。『史記』および『呉越春秋』には「嘗胆」はあっても「臥薪」はない、として「臥薪嘗胆」の説明をもとに繰り広げる内容は、驚くと同時に可笑しさ一杯です。
 で、その間違いを我が国の有名辞書で確認していきます。まず、『日本国語大辞典』が間違っているとのこと。その間違った『日本国語大辞典』をひきうつしたであろう辞書も軒並み間違えたのではないかとも。
 では、『日本国語大辞典』の典拠は? これがどうも諸橋轍次の『大漢和辭典』ではないかと。(きちんと「辭」が正字です。) いやあ、驚きました。『日本国語大辞典』は分割払いで、また『大漢和辭典』は格安の台湾出版品で、とにかくその昔、無理して購入したもの。なんともはや。
 で、またまた後日談。大漢和の現在出ている「修訂版」では、この部分は削除されているとのこと。それでも、ご本家がもう撤回したことに気づかず、間違えているとして『学研現代新国語辞典・改訂新版』を挙げています。しかも、その間違いを詳細に指摘。
p112
 では、処方に迷惑をおよぼした大漢和の幽霊記事はどこから出てきたのか。
 に続けて、昭和八年に出た『大言海』が幽霊の出どころであるとして、
アッとおどろくタメゴロー、漢和辞典が漢文のネタを国語辞典から拾っていた、というのも御愛嬌だね。
 呵々大笑といったところ。